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水戸地方裁判所 平成元年(わ)21号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、茨城権鹿島郡〈番地略〉所在の木造瓦葺二階建家屋(延べ約一四五平方メートル)に、妻A(当時三八歳)、同女の長女B(当時一四歳)及び二女C(当時一二歳)と居住し、同家屋内において、熱帯魚店「○○」を経営していたものであるが、同店の仕入れ代金の支払に窮したことなどから、右家屋に放火して火災保険金を入手しようと企て、その際右A、B及びCが焼死するに至るかも知れないことを認識しながら、あえて、昭和六四年一月五日午前四時三五分ころ、右家屋の一階居間において、こたつ布団に灯油をまいた上、その端を燃焼している石油ストーブの燃焼筒に接着させて着火させ、さらに天井、壁等に燃え移らせて放火し、よって、右Aらが現に住居に使用している右家屋を全焼させるとともに、そのころ、右家屋内にいた右A、B及びCを焼死させて殺害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定の補足説明)

第一  はじめに

関係各証拠によると、昭和六四年一月五日(以下「本件当日」ということがある)、茨城県鹿島郡〈番地略〉所在の木造瓦葺二階建家屋(A所有、延べ約一四五平方メートル。以下「本件建物」という)において火災が発生しているのを、同日午前四時四三分ころ、同町大野原一丁目五番二五号所在の居酒屋「美和」の従業員畑泰子が目撃し、午前四時五一分ころ、同じく本件建物において火災が発生しているのを同町〈番地略〉に住む赤間秀次が目撃して消防署に通報したことにより、午前四時五三分、神栖消防署において右火災を覚知し、消防自動車七台が出動し、午前四時五九分に放水を開始した結果、午前五時三三分に鎮火し、午前五時四五分に放水を終了し、午前六時一〇分までに各車両とも現場を引き上げたが、右火災により本件建物は全焼し、本件建物に被告人とともに居住していた、被告人の妻A(以下「A」という)、同女の長女B(以下「B」という)及び二女C(以下「C」という)は、右火災(以下「本件火災」という)により焼死し、その死体は、いずれも本件建物の焼け跡から発見されたことが認められる。

ところで、本件における最大の争点は、本件火災の発生及び右火災によるA、B及びC(以下、この三名を指す場合は「Aら」という)の死亡が、果たして被告人の放火行為によるものであることが証拠により認定できるか否かということである。そして、その結論を判断するにあたっては、本件においては、被告人の捜査段階における自白調書が存在しており、その信用性の評価をいかにとらえるかが重要な問題点となるわけであるが、他面において、右自白を除いた他の証拠によって認定することのできる情況事実も、右事実のみによって被告人の犯行を認定するものではないとしても、被告人の自白の信用性を担保するとともこれを補強するものとして重要なものというべきである。

そこで、以下では、まず被告人の自白を除いた証拠により認定できる事実のうち重要と思われるものを取り上げ、その後に被告人の捜査段階における自白につき、その任意性の有無を検討した上で、前記事実や被告人の当公判廷での弁解などを踏まえてその信用性を検討し、以上を総合して本件火災等が被告人の放火行為によるものであるかについての結論を下し、最後に、被告人のAらに対する殺意の有無及び程度について検討することとする。

第二  自白を除いて認定できる事実

被告人の捜査段階における自白を除いた関係各証拠(特に、以下において別途に掲げるもの。ただし、証拠の記載方法を簡略化することがある)を総合すれば、前記第一において認定した、本件火災の発見・消化の経緯及び本件火災に基づきAらが死亡した事実のほか、以下の事実を認定することができる。

一  本件火災の出火状況など

〈関係各証拠省略〉などの関係各証拠によると、主として本件火災の出火状況に関連するものとしては、以下の事実を認めることができる。

1 出火場所など

本件火災後の本件建物については、南東側寝室や北側店舗部分は柱・胴差、梁、束、もや等の小屋組材が焼失を免れて炭化状態で残存しているのに比して、南西側は二階部分が柱、小屋組材、屋根を含めて焼失して一階居間付近に落下して堆積しており、その焼損程度も一階居間部分が各部屋の中で最も著しく、一階居間から離れるにしたがって焼損程度が低くなっており、一階居間は、床部分の焼燬状況も、床板や根太もほぼ全体にわたって焼失し、中央部分では大曳や床束が焼失している箇所があること、畑泰子が本件火災を目撃したときには、本件建物住居部分のうち西側角付近から炎が上がっていたがまだ店舗部分には火が回っていなかったこと、以上の事実が認められ、これらを総合すれば、本件火災の出火場所は、本件建物の一階の居間部分と推認することができ、右認定を左右する証拠はない。

なお、Aらの死体は、本件建物の焼け跡のうち、AとBが一階居間入口の玄関板敷付近で、Bの上にAが覆い被さるようになり、Aの体の下には落下した柱があり、Bは落下した柱の間にはさまれ、布団様の残焼片が乗った状態で、Cが右地点から居間側に1.5メートル位離れた場所で下腹部を梁の上に載せた状態で、それぞれ体の一部が焼燬残渣物の中に埋まり、死体の下にも焼燬残渣物がある状態で発見されている。また、B及びCは、両名の死体が発見された場所の上部にあたる、二階東側六畳間の二段ベッドを日頃就寝の際に利用していたものである。

2 出火時刻

畑泰子の証言によれば、同女は本件当日午前四時四三分ころに、本件建物の東方付近から本件火災を目撃したのであるが、その際、同女が目撃した地点と本件建物との間には松林があったが、その松林より高い位置からも炎が見えたというのであるから、出火時刻は遅くともそれ以前であることが認められる。また、赤間秀次は午前四時五一分ころに自宅二階から本件火災を目撃した際には、本件建物の一階窓から全体を包み込むように上方に炎が上がっていた旨供述し、本件火災によって類焼した隣家に住む高田しず子は、本件当日未明に異様な音で目覚めて本件火災に気づき、助けを求めて屋外へ出た際には、本件建物はすでに全体が炎に包まれていたが消防車が到着したのはその後である旨証言し、ジープ車に乗って現場に出動した消防職員池田守正は、同人が放水を開始した午前五時一分ころには、すでに本件建物の屋根が落ちて高田方が類焼している状態であった旨供述し、火災事件調査報告書中の、タンク車に乗って午前四時五八分ころに現場に到着した消防職員沼田藤憲作成にかかる出火出場時における見分調書には、同人が現場に至った際、本件建物は中央から西側部分の屋根は燃え抜けて炎が上昇しており、現場に到着して下車した時、本件建物は全体に火が回っており、外壁を残し、開口部から盛んに火煙が噴出し、強い輻射熱を感じたことから火災の最盛期と判断した旨の記載があり、火災事件調査報告書においては出火日時が本件当日の午前四時四〇分ころと推定されているところ、右火災事件調査報告書の作成に関与した、当時神栖消防署長であった証人中村良功は、右のように出火時間を推定した資料の中には被告人の自白も含まれてはいるが、主として関係者、発見者(高田しず子のこと)、第一通報者、先着隊の発見時又は到着時における本件家屋の燃焼状況などを判断基準としたものであり、被告人の供述を除いても、本件建物は木造であるから、消火活動をしないで放置した場合、出火した後、最盛期になって棟が落ちるまで四分ないし一五分程度しかかからないことなどからすると、本件火災の出火時刻は前後五分の幅をもたせ、断言はできないが午前四時三五分ころから四時四五分ころの間と推定することができる旨証言しており、これらのほか関係各証拠を総合すると、本件火災の出火時刻は、本件当日の午前四時三五分ころから四時四三分ころの間かこれに近接する時刻であると推認することができる。

3 出火原因

本件火災後の昭和六四年一月五日ないし同月七日の間になされた実況見分においては、本件建物の焼け跡のうち、一階居間中央付近の南方土台から北方へ約八〇センチメートル、右居間と隣接する台所の南西角から北東方向へ約3.5メートルの位置において電気こたつの発熱部の残焼物が発見され、そのコード様の物がコンセントに差し込まれた状態になっており、また、一階居間の台所に隣接する箇所の南方土台から北方へ約二メートル、台所流し台の南東角から北東方向へ約2.9メートルの位置において石油ストーブの残焼物が、上部にやかんが載せられた状態で発見された。右の電気こたつ発熱部残焼物と石油ストーブ残焼物は、台所にあったガスコンロとともに、いずれも鑑定に付されたが、その結果、石油ストーブと電気こたつは点火中もしくは通電中の使用状態にあったが、ガスコンロは未使用状態であったことが判明した。そして、右実況見分の際、本件建物外壁に取りつけられた漏電ブレーカー(AB型)のスイッチは「入」になっており、漏電を表すボタンは正常の状態を示しており、配電函のスイッチも「入」になっていることから、本件火災時に電源は通電状態であったと認められている。また、油類をまいての放火による出火も考えられたことから、一階居間全域の床下の土砂を三六箇所にわたり石油検知管により油性反応試験が実施されたが、反応は認められなかった。

火災事件調査報告書中の火災原因判定書(この判定書は、前記の石油ストーブ及び電気こたつの使用状態についての鑑定結果は踏まえられておらず、いずれの使用状態も不明としている)においては、結論としては、本件火災の出火原因は不明とされている。その理由は、右判定書及び中村良功の証言によると、石油ストーブが火源となる可能性も十分あるし、被告人の放火による可能性も十分あるが、電気器具類及びコード類についても焼燬状況が著しく、それが火源となったかどうか判断できない状況であったことからそれが発火源である可能性も否定することができず、その結果「電気関係、石油ストーブ、放火いずれも、可能性として否定するに至らず不明とする」旨の記載がされたものであることが認められる。

なお、被告人は、当公判廷において、本件火災前の状況につき、「前日の一月四日は、夕食後、一階居間のこたつで女房とともにうたた寝をしてしまった。目が覚めたのは翌五日午前零時近くで、そのときテレビ、蛍光灯、こたつ、ストーブともつけっぱなしの状態だった。自分は女房を起こしてから、こたつと蛍光灯のスイッチを切るように言って、自分はストーブとテレビのスイッチを切って先に寝室へ行き、そのまま寝てしまった。一月五日の当日は午前三時五五分ころ目が覚め、そのまま居間へ行き、月夜で明るかったため、蛍光灯はつけないままで、ストーブをつけ、着替えをしてから家を出た。居間にいる間、こたつには入っていないのでこたつがついていたかどうかわからないが、こたつ布団から熱気が伝わってきた記憶はなく、部屋の気温の変化にも特段の記憶はなく、焦げ臭いにおいがしたり、変な音がするといったことはなかった。部屋の中に洗濯物を干すことはあるが、ストーブを点火する時にストーブの近くに寄っているが、ストーブの上付近に洗濯物が干してあった記憶は特にない。家を出た時間は大体四時一五分ころか、それ以降であり、居間のストーブを消してから出たかどうかは記憶がはっきりしない」旨供述している。右供述全部をそのまま信用性のあるものとして採用することはできないが、被告人は無罪を主張しているのであるから、本件火災の原因が被告人による放火以外の発火である可能性を否定する方向で、ことさら虚偽の供述をすべき事情は認められないというべきである。

そこで、以上の各証拠ないしこれにより認められる事実を前提として、本件火災の出火原因について検討するに、捜査段階における被告人の自白を除いたこれらの証拠のみによっては、未だ電気こたつや、他の電気器具及びコード類からの自然発火による出火の可能性を否定することまではできず、これのみで本件火災が被告人の放火によるものであると認定することにはなお合理的疑いをいれる余地はあるものというべきである。しかし、他方、前記1及び2で認定したとおり、本件火災の出火場所は本件建物の一階居間部分であり、出火時刻は本件当日のおおよそ午前四時三五分ころないし四時四三分ころまでの間と認められるところ、前記認定のとおり、まず、一階居間部分の焼け跡から発見された石油ストーブは使用状態であったが、その上部にやかんが載った状態で発見されているので、ストーブが倒れて他に火が移った可能性は認められず、また、被告人の公判供述によっても、ストーブの上部に洗濯物が干してあったり、それがストーブの上に落ちて燃え出したことを疑わせる事情は認められないし、電気こたつの過熱や他の出火原因も含めた電気器具及びコード類からの出火の可能性についても、前記認定の本件建物の漏電ブレーカーの状況に徴して、漏電があったことを疑わせる事情は認められず、被告人の公判供述によっても、被告人は本件当日午前四時一五分近くころまでは一階居間にとどまっていたはずであるのに、それらを原因とする出火を疑わせるような異常には気がついていないのであり、そのほか、放火以外の原因による自然発火を疑わせるような特段の事情も存在しないというべきである。

また、弁護人は、本件出火の原因については、医師三澤章吾作成のCの死因に関する鑑定書及び同人の証言によると、焼死したCの胃内には米飯及び野菜片などのほとんど未消化の食物残渣が貯留しており、このことから一般論として摂食後一ないし三時間前後で死亡したと考えられ、また、Cの膀胱にはごく少量の尿しかなく、これは排尿直後に死亡したことを示しているものと考えられるから、Cは死亡直前に食事をし、排尿をしていたことになり、その際のCが調理をしたことなどに起因する出火の可能性も十分に考えられる旨主張している。そこで、まず、右の鑑定内容について検討すると、証人三澤章吾の証言によれば、胃の内容物の消化状態からの摂食事間の推定はあくまで一般論で、食事内容が分からないことから詳しいことはいえない旨言うのであるから、右の胃の内容物は前日の夕食時に摂食したものの一部にすぎない可能性もあるし、膀胱内にごく少量の尿しか残っていなかった点についても、焼死の過程で意識が消失するなどの理由により尿を失禁した可能性もあるし、仮に本件火災以前に排尿がなされていたとしても、その排尿は前記の摂食とは別の機械になされた可能性もあるのであり、単に一階のトイレに降りて排尿行為をしたというのみでは、その行為に基づく出火の可能性を疑わせるような特段の事情は生じないというべきである。そして、仮に、弁護人の言うように、Cが死亡直前に食事をしていたことを前提として検討しても、被告人の公判供述によれば、被告人が本件当日朝起床して家を出るまでの間にCが二階から降りてきた事実は認められず、被告人が居間にいる間にCが降りてきて、一階台所ないしは喫茶店部分の調理場で調理をしたのに、被告人がこれに気づかないというのは不自然であるし、被告人が起床する以前にCが調理をしたとすると、例えばそのためにガスコンロの火が他に燃え移ったり、加熱された調理器具等を通じて出火したのなら、その後居間に入ってきた被告人が家を出るまでの間にその異変に気づかないのは不自然であるとともに、前記の出火推定時刻とも矛盾するし、被告人の公判供述によっても、被告人が居間から出て外出した旨主張する時刻から、本件出火推定時刻までは三〇分と間隔がないのであるから、その間にCが調理をし、それを原因として出火に至ったということも、一階台所のガスコンロが未使用状態であったこと、Cの死体は前記1認定のとおり下腹部を焼け落ちた梁の上に載せた状態で一階居間で発見されたのであるが、同所の上部には本来同女が就寝にも使用していた二階東側六畳間があったのが焼け落ちていたものであって、同女は死亡時二階にいたと推認することができることなどに照らしても考えにくいというべきである。

被告人以外の人物による放火の可能性についても、本件火災により焼死したAらのうち誰かがあえて自ら火を放ったことを疑わせる事情はないし、前記のとおり被告人の公判供述によっても、被告人が外出した旨主張する時刻から出火推定時刻までの間に、被告人やAら以外の第三者が本件建物一階居間に火を放ったと疑わせる特段の事情も認められない。

二  本件に至るまでの被告人の生活状況など

1 被告人の経歴及びAらとの関係など

〈関係各証拠略〉などの関係各証拠を総合すると次の事実が認められる。

被告人は、和歌山県内において、父D、母Eの長男として出生し、広島市内の小・中・高等学校を卒業した後、同市内のガソリンスタンドに勤務するなどした後、鳶職に転職して各地の工事現場で稼働していたが、茨城県鹿島郡神栖町内に来て稼働するようになって後、昭和六〇年初めころに神栖町内のスナックでAと知り合い、本件建物内で同女が経営する喫茶店「××」に頻繁に通うようになり、同年四月ころから同棲を始め、同女の死別した前夫Fとの間の子供である長女B及び二女Cともども本件建物で生活することとなり、昭和六三年六月一〇日、Aと婚姻して入籍し、甲野姓を名乗ることとなった。被告人は、昭和六一年一二月ころから神栖町大野原所在の田原建設に鳶職として稼働する傍ら、昭和六二年一月からは、Aが金融機関から借り入れた二〇〇万円の資金提供を受けて、本件建物店舗部分東側で熱帯魚店「○○」の経営を始め、さらに同年中に同様にして一〇〇万円の資金提供を受けるなどした上、経営を継続して本件当日に至ったものである。なお、石岡信用金庫神栖支店において、昭和六一年一一月一四日付けで二〇〇万円、昭和六二年九月四日付けで一〇〇万円の、それぞれAを借主とする貸付けがなされている。Aは、前記「××」を経営するとともに、昭和六〇年九月ころから「早稲田教育学園」などの学習塾を自宅店舗部分に開設し、その後右学習塾を同年一一月から本件建物の道路をはさんで向かい側に位置する茨城県鹿島郡〈番地略〉所在の清伸ビルの二階に移して経営を継続していたものである。

2 「○○」と「東京ペット商会」との取引状況

〈関係各証拠略〉などの関係各証拠を総合すると、被告人は、「○○」の経営のために、昭和六二年一月ころより、「東京ペット商会」の名称でペット販売及び熱帯魚の輸入卸業を営むG(以下「G」という)から、熱帯魚や附属器具の仕入れを行うようになったこと、Gとの取引は当初は現金取引のみであったものが、同年一〇月ころから掛けで仕入れるようになり、同年一〇月一七日付けで二万円であった買掛け金が徐々に増え、昭和六三年末日現在で三一万七、七五〇円となり、同年五月二〇日付けで、同日締めの買掛け金六〇万六、三六五円にかかる請求書がGから被告人に送付されたこと、その後も被告人が掛けで仕入れたことから、同年七月三〇日には買掛け金額が合計一〇七万八、四〇〇円となったこと、同年八月五日付けで、Aが石岡信用金庫神栖支店の同女名義の定期積金を中途解約して一〇八万三、一四六円を払い戻し、うち一〇〇万円を東京ペット商会に入金し、前記買掛け金の支払いにあてていること、右弁済後も買掛け金は増え続け、同年九月二三日には九六万八、一七五円になり、翌二四日付けで被告人に対し請求書が送付され、その後のGと被告人との電話でのやりとりでは、被告人は右の買掛け金残高を同年暮れまでにはゼロにする旨言っていたが、これに対する支払いはされなかったこと、その後買掛け金残高は同年一二月二六日現在で最終的には一七二万八、九八〇円になったこと、その後も被告人からGに対し、電話で買掛け金額についての問い合わせがあり、近いうちには支払う趣旨の話を被告人はしており、Gもこれに対し、以前も被告人が払うと言って後に一〇〇万円の支払いがあったことから今回も支払いがあるものと信用していたが、右買掛け金に対する支払いはなされないままで、本件火災の発生に至ったこと、以上の事実が認められる。

3 保険契約の締結状況

(一) 火災保険

〈関係各証拠略〉を総合すると、本件建物等についての火災保険契約としては、従前はAの前夫のF名義で本件建物につき一、二〇〇万円のものが締結されていたのであるが、新たに住友海上火災保険株式会社とAとの間で、昭和六三年三月一六日、本件建物についての普通火災保険(保険金額六〇〇万円)と店舗総合保険四口(保険金額は家財一式につき七〇〇万円、喫茶店什器備品につき三〇〇万円、喫茶店造作設備につき二〇〇万円、熱帯魚店什器備品につき五〇〇万円)の火災保険契約が、同年一二月二二日、前記F名義の契約を途中解約してA名義で本件建物につき保険金額一、二〇〇万円の火災保険契約が、いずれも受取人をAとしてそれぞれ締結され、結局本件建物及び建物内の設備等につき、本件火災当時、保険金額合計三、五〇〇万円の火災保険契約が締結されていたことが認められる。

なお、山口茂男の証言によれば、右火災保険契約締結の経緯については、同人は昭和六二年九月ころから清伸ビル内において住友海上火災株式会社等の保険代理店「ハートショップ山口」を経営しているものであるが、同店の真向かいにある「××」を経営するAとは同年八月ころから顔見知りとなり、同女に対して保険の勧誘もするようになったが、昭和六三年三月ころに、本件建物等についての火災保険が建物自体についての一、二〇〇万円のものしかなかったので、それでは少ない旨説明したことなどから、山口茂男を通じて前記の同年三月一六日付け火災保険契約締結の運びとなったものであるが、被告人は、山口茂男がAに対して保険内容の説明をした際に居合わせたり、山口茂男が熱帯魚店の什器備品の査定をする際に説明をしたり、保険契約の締結を山口茂男に依頼する際に前記「ハートショップ山口」に印鑑や保険料を持参するなどして、右契約の締結に関与していたものであることが認められる。

(二) 生命保険

〈関係各証拠略〉を総合すると、昭和六三年六月二六日、全国労働者共済生活協同組合連合会との間で、契約者を被告人、被共済者を被告人、A、B及びCとし、交通事故以外の不慮の事故による死亡の場合の保障金額を、被告人及びAについては各八〇〇万円、B及びCについては各四〇〇万円とする個人定期生命共済(通称こくみん共済)契約が締結されたこと、右契約は本件火災当時も有効であったこと、右契約手続は、Aが被告人名義で石岡信用金庫神栖町支店を通じて行ったものであり、契約手続を行った同支店の菊地茂は、右契約に関して被告人と直接話をしたり、被告人から説明を求められたりはしておらず、被告人は契約締結には直接関与していないこと、以上の事実が認められる。

三  本件火災前後の被告人の言動など

1 火災保険金受取人についての言動

証人山口茂男の証言によると、前記昭和六三年三月一六日付けの火災保険契約締結後、被告人が、すでに顔見知りとなっていた山口茂男の事務所へ顔を出した際、被告人は、右山口に対し、仮に火事になって住人が死亡した場合、火災保険金の受取人は誰になるのかという内容の質問をし、これに対して山口茂男は、右質問の内容はAが火災で死亡した場合の前記火災保険金の受取人のことを聞いているものと判断し、当時被告人がまだAと入籍していないことを知っていたことから、それは法定相続人の受け取りになり、被告人は法定相続人ではないから受取人にはなれない旨答えたことが認められる。

2 昭和六三年一〇月二七日のぼや騒ぎについて

〈関係各証拠略〉などの関係各証拠を総合すると以下の事実が認められる。

(一) 事件の発生及び被害状況

昭和六三年一〇月二七日午前七時ころ、当時本件建物内にいたAが、娘に知らされたことから、本件建物店舗部分西側の喫茶店「××」の調理場からこげ臭いにおいがしているのに気づき、さらに、同所にあったガスコンロがその上にフライパンが載せられた状態で火がつけっぱなしになっているのを発見し、すぐにその火を消して通報した。連絡を受けて現場に到着した警察官の実況見分によると、本件建物内の現場に至る出入口としては、本件建物東側の熱帯魚店北側にガラス戸の出入口があり、ここはシャッターが下ろされた状態にあったが、いずれも施錠はされておらず、喫茶店調理場のガスコンロの上には丸型のフライパンが載せられて黒く焦げており、右調理場の天井、壁等は黒く煤け、ガスコンロ東側の流し台の西側と北側の上部が幅一〇ないし一五センチメートルにわたり焼け落ちており、右調理場西側の棚に置かれていた瓶等が熱により曲げられたと思われる状態で変形していたような状況であり、右実況見分に立ち会ったAは、その際、熱帯魚店のガラス戸とシャッターの鍵はいつも掛けておらず、調理場のガスコンロの火を使って消し忘れたという記憶はなく、フライパンもガスコンロの上には載せていなかったと思う旨供述している。

また、右Aの供述により、喫茶店カウンター上のレジスター内から現金二万二、〇〇〇円位がなくなり、本件建物居間部分中央にあったこたつ上に置いてあったセカンドバック(茶色、ルイ・ヴィトンのコピー製品)及び同間北側のサイドボード内にあったバッグ(サーモンピンク色のもの)も在中品とともになくなっていることが判明した。

A作成の被害届などによると、セカンドバッグ一個(茶色、ルイ・ヴィトンのコピー製品)の在中品は、現金一一万二、〇〇〇円位、クレジットカード数枚、自動車運転免許証(A名義)及び鍵一個在中の財布、口紅、アイシャドー等在中の化粧品バッグ一個、現金六〇円位在中の小銭入れ財布一個、薬の瓶一本、眼鏡一個及び眼鏡ケース一個であり、バッグ(サーモンピンク色のもの)の在中品は、印鑑二本、普通預金通帳一一冊、定期預金通帳一五冊、五百円硬貨(記念硬貨及び古銭)計六枚、証券証書一枚及び給与明細書等数枚であったことが認められる。

(二) 被害届記載の物の一部の還付まで

本件ぼや騒ぎ当日の昭和六三年一〇月二七日の午後、山口茂男は、被告人から、なくなったAのバッグが鹿島自動車教習所のごみ箱にあったのを見つけた旨告げられたことから、被告人に対しすぐ警察に報告するよう指示し、その後、被告人から、「自宅から盗難された現金、セカンドバッグ等を午後から探していたところ、午後四時三〇分ころ、鹿島自動車学校近くの神栖町〈番地略〉のゴミ置き場わきに置いてある茶色のルイ・ヴィトンのバッグを見つけた。右バッグが妻のものに似ていたので中を見ると妻の運転免許証等があったので家に持ち帰り、警察に連絡した」旨の届け出がなされ、鹿島署において、被告人からセカンドバッグ(茶色、ルイ・ヴィトンのコピー製品)一個、財布一個、クレジットカード五通、自動車運転免許証(A名義のもの)一通、鍵一個、化粧品バッグ一個、口紅四本、アイシャドー一個、ファウンデーション一個、コンパクト一個、小銭入れの財布一個、眼鏡一個、眼鏡ケース一個、千円紙幣一枚、五百円硬貨一枚、百円硬貨四枚、十円硬貨六枚、五円硬貨一枚及び一円硬貨七枚が任意提出されて領置され、同日、Aにより、右各物品が本件建物から盗まれたセカンドバッグ及びその在中品に間違いない旨の確認がされ、同女に対し右各物品の還付がなされた。

(三) 事件当時の被告人の所在

Gの証言によれば、被告人は、昭和六三年一〇月二七日には東京都足立区内でGが経営する前記「東京ペット商会」の店舗に、同店開店前の朝八時四五分ころに自動車で一人でやって来たが、その前に、G方へ被告人方でぼや騒ぎがあった旨の電話連絡が来ていたので、Gがその旨被告人に伝えたところ、被告人も自宅へ電話連絡し、その後同店におよそ三〇分前後とどまった後、熱帯魚の餌類だけを買って帰ったことが認められる。

(四) 本件建物等の保険金支払状況

前記のぼや騒ぎによる損害については、前記二3(一)記載の保険契約に基づき、住友海上火災保険株式会社からAに対し、盗難被害分として合計一七万四、〇〇〇円、火災被害分として合計四四万七、八三二円の保険金が後日支払われている。

3 熱帯魚の移動

〈関係各証拠略〉などの関係各証拠を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 被告人は、昭和六三年一二月初旬ころまでの間に、熱帯魚三六匹を、「○○」店舗内から前記清伸ビル二階の学習塾「早稲田教育学園」教室内に移動し、本件火災当時、同所に設置した五つの水槽に分けて飼育していた。

この三六匹の熱帯魚の内訳は、レッドアロワナ一匹、キフォティラピア・フロントーサ一匹、ライオンヘッド・シクリッド一匹、ジュリドクロミス・レガニ一匹、ダトニオイデス・ミクロレピス二二匹、ダトニオイデス・ミクロレピス・プラスワン一匹、ロイヤル・プレコストムス五匹、ポリプテルス・オルナティピンニス三匹及びオレンジアロワナ一匹であるところ、Gの証言によると、同人に対し証人尋問がなされた平成元年一一月二七日当時の右各熱帯魚一匹の一般的な価格は、レッドアロワナは卸値が二〇万円位で小売値がその1.5倍位から二倍位、キフォティラピア・フロントーサは卸値が一万円で小売値が二、三万円位、ライオンヘッド・シクリッドは卸値が一、〇〇〇円前後で小売値が二、五〇〇円から三、〇〇〇円位、ジュリドクロミス・レガニは卸値が三、〇〇〇円位で小売値がその二、三倍、ダトニオイデス・ミクロレピスは、サイズの小さいものは値動きが激しく、サイズが五センチメートル位のものでは卸値が五万円ないし一〇万円位で小売値がその1.5倍位で本件火災時はその一〇分の一位、一〇センチメートル位のものでは卸値が一〇万円位で小売値が一五万円位で、本件火災時なら卸値が八、〇〇〇円位で小売値が一万五、〇〇〇円位、四五センチメートル位のものでは卸値が二〇万円以上で小売値がその倍近くで、これは本件火災時とさほど変動はなく、ダトニオイデス・ミクロレピス・プラスワンは、卸値が三、〇〇〇円位で小売値が一万円位、ロイヤル・プレコストムスは、二五ないし二七センチメートルのもので、卸値が一万五、〇〇〇円位で小売値はその倍位、ポリプテルス・オルナティピンニスは、卸値が二、五〇〇円位で小売値は八、〇〇〇円前後、オレンジアロワナは卸値が二〇万円位で小売値はその倍位であることが認められる。

(二) これに対し、本件火災後、本件建物の「○○」店舗の焼け跡からは、同店舗南西側と北西側の合計一一個の水槽内から熱帯魚の死骸が発見されているが、その種類及び前記Gの証言により認められるその一般的価格は、カージナルテトラ(卸値六〇円ないし一五〇円位、小売値二〇〇円ないし三〇〇円位)、グローライトテトラ(卸値三〇円ないし五〇円位、小売値一〇〇円前後)、ジュリパリ(卸値二〇〇円、小売値四〇〇円位)、ペンギンテトラ(卸値六〇円位、小売値二〇〇円位)、コリドラス・ポリスティクタス(卸値七〇〇円前後、小売値はその倍位)、ネオンテトラ(卸値四五円位、小売値一〇〇円前後)、コリドラス・ラバウティー(卸値五〇〇円、小売値一、五〇〇円位)、コリドラス・シァルティ(卸値五〇〇円、小売値一、〇〇〇円ないし一、五〇〇円位)、コリドラス・ジュリー(卸値二〇〇円ないし三〇〇円位、小売値一、〇〇〇円位)、コリドラスの一種(小売値が二、〇〇〇円位で卸値がその半分位のもの)、コリドラス・メタエ(卸値五〇〇円位、小売値一、五〇〇円位)、ヘッドアンドテールライト(卸値四〇円位、小売値一五〇円ないし二〇〇円位)、サカサナマズ(卸値七〇〇円位、小売値一、五〇〇円ないし二、〇〇〇円位)、コンゴーテトラ(卸値六〇〇円位、小売値一、五〇〇円ないし二、〇〇〇円位)、タイガーサーベルノーズ(卸値八、〇〇〇円ないし一万二、〇〇〇円位、小売値はその倍位)、コバルトターコイスL(卸値二万円前後)、アルビノレモンテトラ(卸値八〇円位、小売値二〇〇円位)、レモンテトラ(卸値四〇円位、小売値一五〇円位)、コリドラス(右証言によると一、〇〇〇円前後のものということであるが、右価格が卸値なのか小売値なのかは判然としない)、オトシンクロス(卸値一五〇円位、小売値三〇〇円ないし四〇〇円位)、プレコストムス(大きいもので卸値が一、五〇〇円位で小売値がその倍ないし三倍位、並みのもので卸値が二〇〇円位で小売値が五〇〇円位)、レッドコルソマ(卸値二、五〇〇円位、小売値五、〇〇〇円位)、ピンクシュクリット(卸値一、〇〇〇円、小売値二、〇〇〇円位)、エンゼルフィッシュ(卸値一五〇円位、小売値五〇〇円位)、コバルトターコイズ(卸値八、〇〇〇円位、小売値はその倍位のもの)、オトシンクロス(卸値一五〇円位、小売値五〇〇円位)、ヘッドアンドテールライト(卸値八〇円位、小売値二〇〇円位)、タナゴ(卸値二〇円ないし三〇円位、小売値一〇〇円位)、コリドラス・ハステータス(卸値一八〇円位、小売値はその倍ないし三倍位)、グリーンファイヤーテトラ(卸値四〇〇円、小売値一、〇〇〇円以上位)、ヤマトヌマエビ(卸値一五〇円、小売値三〇〇円位)、クチボソ(卸値一〇円ないし二〇円位、小売値三〇円ないし四〇円位)、金魚(卸値一〇円位、小売値三〇円位)、オセラリス(小売値が五万円前後のもの)、レッドコルソマ(小売値が二ないし三万円位のもの)及びオキシドラス(卸値一万円位、小売値三万円前後)であることが認められる。

4 本件火災時及びその後の被告人の所在及び言動

(一) ゲーム喫茶「ランボー」来店時

証人井戸美代子(以下「井戸」という)の証言によると、被告人は、本件当日の早朝に、茨城県鹿島郡神栖町神栖〈番地略〉所在のいわゆる二四時間営業のゲーム喫茶「ランボー」(以下「ランボー」という)に自動車に乗って一人でやってきたこと、当時「ランボー」には以前Aと同じスナックに勤務していたことがあり、Aや被告人と顔見知りであった井戸が勤務しており、同女が、被告人の直前に来た客の来店時刻を店内の時計を見て伝票に午前四時四〇分と記載し、その二ないし三分位後に被告人が来店したのを目撃していることから、被告人が本件当日「ランボー」に到着した時刻は、午前四時四〇分ないし四時四五分ころの間であること、被告人が来店した際、井戸は、被告人が早朝に「ランボー」に来るのは初めてであったことから、「何、お父さん、こんな夜中に」と被告人に対して声を掛け、これに対し被告人は、「いや、眠れなくて。コーヒーを飲みに来た」と答えたこと、その後席についた被告人はゲームをせず店内で井戸とコーヒーを飲みながら話をしていたが、その際被告人は、途中道を間違えてセントラルホテルの方へ行ってしまったことや、仕事始めで午前六時までには帰らなければならず、一旦帰宅して着替えてから仕事に出る旨言っていたこと、井戸は、午前五時ころ、店外から内容は分からなかったが、役場の防災無線放送らしき音が聞こえたので、被告人に対し、何か聞こえる旨言ったところ、被告人は、これに対し「有線じゃないのか」などと答えたので、井戸は店内の有線放送のボリュームのダイヤルを動かした後、その音が有線ではない旨言ったこと、その後被告人は、午前六時前には「ランボー」を出たこと、「ランボー」と本件建物との距離は二、三キロメートル程度であり、自動車を使った場合の所要時間は五分程度あれば足りること、以上の事実が認められる。また、司法警察員作成の平成元年一月二六日付け捜査報告書(本文六丁のもの)によると、本件当日の午前五時六分から同五時九分までの間と、同日午前五時三三分から同五時三六分までの間に、それぞれ本件火災の発生と鎮火を知らせる神栖消防署からの防災行政用無線放送が、各二回ずつ、神栖町全域に設置されたスピーカーを通じて行われたことが認められる。

(二) 火災現場帰着時

証人山口茂男及び同山口久美子の各証言を総合すると、山口茂男及びその妻久美子は、本件火災発生の連絡を受けたことから、本件当日午前五時半ころまでに現場に到着したが、その時はすでに消防車が出動しており、本件火災は、建物が全焼した後、ほとんど鎮火して白い煙が上がっている状態であり、現場付近にAや娘たちがいないか探したが見つからず、いつもは本件建物前に駐車してあり、Aと被告人の二人が使っている白い自動車がなかったことから、被告人方は家族全員で出掛けているものと考え、その後清伸ビル一階の「ハートショップ山口」店舗内に入って外を見ていたところ、午前六時半ころになって、被告人が一人で前記自動車に乗って現場に戻ってきて、自動車を清伸ビルに横付けしたことから、山口茂男が外に出て、被告人に対し、「どこに行ってきたんだ」と聞くと、被告人は、「朝寝つかれないので久美ちゃんのところへ行って、ドライバーを貸してあったやつを取りに行ってお茶を飲んで来た」旨答え、「ママ(Aのこと)はどうしたんだ」と聞いたところ、これに対しては、「寝てるよ」と答え、これに対し山口茂男が「どこに寝てるんだ」と言い、その後山口茂男と被告人は本件建物の焼け跡を見に行き、そこで被告人がそばに来た消防署員に対し、妻と子供が本件建物にいたから探して欲しい旨言っており、その後、被告人はやって来た警察官に警察車両に乗せられたことが認められる。

5 三つのバッグの自動車内からの発見

〈関係各証拠略〉などの関係各証拠を総合すると以下の事実が認められる。

(一) 昭和六四年一月六日午後九時四五分から同日午後一一時四〇分ころまでの間、被告人が使用していた普通乗用自動車(トヨタカムリ、白色、ナンバー水戸○○な○○○○。以下「本件車両」という)に対し、被告人を立会人として捜索差押えが行われた。本件車両は、本件火災現場付近に駐車してあったものを、前同日、警察官が被告人を伴った上で鹿島署の車庫内に移動し、捜索差押許可状の発布を受けた後に同所において捜索差押えを開始したものである。

(二) 右捜索の際、本件車両内の助手席下マット上から青色ビニールバッグ一個(〈押収番号略〉、以下「青色バッグ」という)、セカンドバッグ一個(茶色合成皮製、〈押収番号略〉、以下「茶色セカンドバッグ」という)及び黒色バッグ一個(〈押収番号略〉、以下「黒色バッグ」という)が、それぞれ発見された。

(三) 青色バッグの発見時の内容物は、かんとう定期積金証書(関東銀行鹿島支店発行。A名義)一通、にこにこファミリー総合通帳(関東銀行発行。A名義)一通、郵便貯金総合通帳(郵政省発行。乙名義)一通、けんしん総合口座通帳(茨城県信用組合発行。B名義)一通、けんしん総合口座通帳(茨城県信用組合発行。A名義)一通、けんしん総合口座通帳(茨城県信用組合発行。C名義)一通、けんしん普通預金通帳(茨城県信用組合発行。A名義)一通、いしきん定期性総合口座通帳(石岡信用金庫発行。F名義)一通、郵便貯金総合通帳(郵政省発行。A名義)一通、定期積金証書(茨城県信用組合神栖支店発行。C名義)一通、定期積金証書(茨城県信用組合神栖支店発行。A名義)一通、保険証書(郵政省簡易保険局発行。A名義)一通、住友海上テンポソウゴウ保険証券(住友海上火災保険株式会社発行。A名義)一通、住友海上フツウカサイ保険証券(住友海上火災保険株式会社発行。A名義)一通、住友海上テンポソウゴウ保険証券(住友海上火災保険株式会社発行。A名義)二通、生活協同組合および共済加入申込書兼預金口座振替届出書(被告人名義)一通、印鑑(甲野の刻印のあるもの。茶色ケース入り)一個、郵便貯金払戻金受領証一枚、印鑑登録証(神栖町役場発行。ケース入り)一枚、電信振込金領収書(早稲田教育学園あて)一枚、受取書(常陽銀行神栖支店発行。Aあて)一枚、納品書(東京健美研究会発行)一枚、給与支払明細書(マキあて)一枚、自動車税納付書兼領収証書一枚、伝票(××あて)一枚、領収書(××あて)一枚、講師料請求明細書(大野原教室一二月分と記載のあるもの)一枚、通知書(早稲田教育学園発行)一枚、預り証兼引換証一枚、領収書(Cあて)一枚、領収書(Bあて)一枚、テレホンカード一枚、保険料仮領収書(Aあて)一枚、領収書(三本コーヒー株式会社水戸営業所発行)一枚、五千円札二枚、千円札一一枚、関東銀行の印刷のある封筒一通並びに右封筒在中の一万円札二枚及び千円札五枚、東京健美研究会と印刷のある封筒一通並びに右封筒在中の一万円札二枚、五千円札二枚及び千円札一五枚、乙と記名のある封筒(給料袋)一通及び右封筒在中の一万円札一六枚、A名義の現金書留封筒一通及び右封筒在中の一万円札一枚及び千円札二枚、百円硬貨四枚、カード利用代金明細書(ジェーシービー発行)一枚、パンフレット四枚、領収書(石岡信用金庫神栖支店発行)一五枚、封筒(石岡信用金庫の封筒入り)一五通、日本信販クレジットカードお申込の内容(Aの記名のあるもの)一枚、口座振替済みのお知らせ(朝日生命保険相互会社発行。Aあて)一枚、定期預金副票(関東銀行発行。Aあて)一枚、サービス券(ラッキー7発行)二枚、領収書(ダスキン愛の店神栖店発行)一枚、JCBニュース一部、領収書(茨城県信用組合神栖支店発行。Cあて)一枚、財産形成預金預入依頼書(関東銀行発行)一枚、振込金受取書(全労災様、乙と記名のあるもの)一枚、預かり証兼引換証(郵政省発行。Aあて)二枚、郵便振替払込金受領証(株式会社セシール発行)一枚、督促状(神栖町長作成。Aあて)一通、領収証書(神栖町役場税務課発行。Aあて)一枚、封筒(早稲田教育学園と記載のあるもの)一通、イヤリング様のもの(丸型の金属)二個、給料支払明細書(控)三枚及びメモ紙三枚である。

(四) 茶色セカンドバッグの発見時の内容物は、生命保険証券(朝日生命保険相互会社発行。A名義)一通、生命保険証券(アメリカンファミリー生命保険会社発行。被告人名義)一通、生命保険証券(明治生命保険相互会社発行。被告人名義)一通、共済契約証書(茨城県勤労者共済生活協同組合発行。被告人名義)一通、全国共年金加入者証(全国税理士共栄会発行。A名義)一通、県民交通災害共済加入領収書兼会員証(A、B及び乙名義)一通、お支払い予定表(関東銀行鹿島支店発行。Aあて)六枚、クレジット契約書(日本アルミ住器発行。Aあて)二枚、融資金ご返済予定表(石岡信用金庫神栖支店発行。Aあて)四枚、固定資産税通知書(神栖町役場発行。Aあて)一枚、厚生年金基金加入員証(山陽自動車整備厚生年金基金発行。乙名義)一枚、告知書(朝日生命保険会社発行。Cあて)一枚、保証書(株式会社伊勢甚チェーン発行。A名義)一部、リース契約書(日立クレジット株式会社発行。Aあて)一枚、支払額明細書(社会保険庁年金保険部業務第二課発行。Aあて)一枚、申込書(日本アルミ住器株式会社発行。Aあて)一枚、発注書(A名義)一枚、リース料お支払明細書(Aあて)一枚、クレジット申込書(A名義)一枚、領収書(イケダ店舗設計装備発行)一枚、領収書(イケダ店舗設計装備発行。××あて)一枚、印鑑(甲野の刻印のあるもの。丸型)一個、払込通帳(茨城県商工信用組合神栖支店発行。F名義)一通、記入要領(加給年金額)一枚、診察券(太田歯科医院発行。C名義)一枚、写真一枚、年賀状(菅野利男作成。A、B及びCあて)一通、遺族年金の説明書一冊、領収書(伊藤新聞店発行。××あて)一枚及び加入者のしおり(全国税理士共栄会作成)一冊である。

(五) 黒色バッグの発見時の内容物は、腕時計(ウォルサムクォーツ)一個、保険料領収書(住友海上火災)一綴、名刺(被告人名義)一枚、アドレス帳一冊、印鑑(乙の刻印のあるもの。ケース入り)一個、印鑑(乙の刻印のあるもの)一個、印鑑(甲野の刻印のあるもの)一個、マッチ(未使用)一個、小銭入れ一個、百円硬貨二枚、五十円硬貨一枚、十円硬貨一枚、戸籍抄本(被告人のもの)一通、教室開設説明会のご案内二枚、領収書(理容シャイニー発行)一冊、名刺(有限会社松島工業松島弘と記載のあるもの)一枚、レシート一枚、納品書(東京健美研究会発行)一枚及び電信振込金一枚(石岡信用金庫神栖支店発行)一枚である。

6 毛髪及び衣服の熱変化など

(一) 司法警察員作成の身体検査調書、司法警察員作成の差押調書、茨城県鹿島警察署長作成の鑑定嘱託書の謄本(鹿刑発第九号のもの)及び茨城県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員中村保男作成の鑑定書によると、昭和六四年一月六日午後九時五分から同九時二二分までの間、鹿島署刑事課において、令状発布を受けた上で、医師立会いのもとに、被告人の頭部につき身体検査がなされ、その際の被告人の頭髪の状況は、全体的にパーマが伸びた感じであるが、頭頂部の五センチ大の円形に焦げていると思われる部分の頭髪の先端が逸失し、その範囲で他の部分の髪より短くなっているように認められたことから、右部分の髪の長さを計測したところ、その長さは約4.2センチメートルであり、他の部分の長さは頭頂部約6.5センチメートル、つむじ部分約5.5センチメートルなどであったこと、同日午後九時二三分から同九時二七分の間、被告人の、前記頭頂部の焦げていると思われる場所から二〇本、後頭部から二〇本の毛髪が令状発布を受けた上で差し押さえられたこと、右差押えにかかる毛髪は、平成元年一月九日から同月一八日までの間、茨城県警察本部科学捜査研究所において鑑定に付されたこと、その結果、前記の焦げていると思われる箇所から採取した毛髪二〇本のうち八本につき、毛先部に加熱変化の特徴とされている「小皮の膨隆」あるいは「気泡の出現」が認められたこと、以上の事実が認められる。

(二) 茨城県鹿島警察署長作成の鑑定嘱託書の謄本(鹿刑発第一七号のもの)並びに茨城県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員石沢不二雄及び同笹川薫各作成の各鑑定書によると、昭和六四年一月五日、鹿島署において、被告人が当時着用していたジャンパー(長袖紺色)、ジーパン(紺色)、シャツ(長袖白色)及びくつ下(ピンク色)が被告人より任意提出されたこと、これらは、油類の付着の有無につき同月七日から平成元年一月九日までの間、表面の熱的変化の有無につき昭和六四年一月六日から平成元年一月二八日までの間、それぞれ茨城県警察本部刑事部科学捜査研究所において鑑定に付されたこと、その結果、いずれについても軽質性鉱物油の付着は認められなかったが、熱的変化に関する鑑定によると、ジャンパーについては、左前身頃左裾付近のほぼ手掌大の範囲に認められる木綿単繊維の炭化と、左右両袖の一部、右前身頃胸付近、左前身頃ポケット付近及び袖付け根付近、右後身頃右端下方等における局所的な点状の単繊維や織り糸の炭化が認められ、ジーパンについては、右裾の外側から背部、内側にかけて及び左裾の付近に布の木綿繊維(単繊維)の先端の炭化と、縫糸のポリエステル繊維の溶融・溶着が認められるとともに、外側の黄色ポリエステル製縫糸の多くにも同様の溶融・溶着が認められ、くつ下については、左右の甲部付近から木綿に混紡されているアクリル繊維の先端に溶融痕が、左甲部内側付近の木綿繊維先端の炭化がそれぞれ認められ、以上の各資料中のポリエステル製縫糸やアクリル繊維に認められた溶融・溶着の痕跡は、特定の部位にのみ観察され、その他の部位において同様の痕跡を発見することが困難であったことから、これらの痕跡は加熱を受けるような特異事象により生じたものと推定され、また、各資料中に見られた単繊維先端の炭化については、右の各種合成繊維の溶融・溶着より強い加熱を受けた痕跡であり、さらに局所的現象であることから特異性はさらに高いものと推定されたこと、以上の事実が認められる。

第三  自白の任意性及び信用性など

一 被告人に対する取調べの経過など

〈関係各証拠略〉などの関係各証拠を総合すると、被告人に対する本件の取調べの経過及び状況については、以下の事実が認められる。

(一)  被告人が本件火災発生後その現場に戻って来たのは、前記認定のとおり、昭和六四年一月五日午前六時半ころであるが、その後間もなく、当直であった鹿島署のH巡査(以下「H」という)が被告人を現場近くの駐車場に駐車してあった捜査用車両に乗せて事情聴取を開始し、これに基づき、「一月五日は午前四時ころ目を覚まし、なかなか寝つかれなかったので起きて午前四時三〇分ころに『ランボー』に一人で出かけた。『ランボー』に行って時間をつぶそうと思った。『ランボー』に着き、クミちゃんと話をして時間をつぶし、貸してあったドライバーを返してもらった。午前六時ころまでいてから、毎朝六時から六時三〇分ころの間に熱帯魚に餌をやっているのでそれに合わせて家に帰った。帰ると家が丸焼けになっていてびっくりした。火の気といえば熱帯魚用の石油ストーブを二個使って七〜八坪の部屋を温めていたことくらいである」旨を内容とする参考人調書が作成された。

その後、本件の捜査主任官となった鹿島署刑事課長のJ警部(以下「J」という)は、火災による罹災者のうち本件建物の住人で生き残ったのが被告人一人であることから、生活状況等につき詳細に事情聴取する必要があると判断し、同人の指示を受けた鹿島署刑事課巡査部長のK(以下「K」という)が取調べを担当することとなり、同日午前九時一〇分ないし二〇分ころから同日午前零時二〇分ころまでは、被告人による現場立会の必要も考えられたことから現場近くの会社事務所において、Hとともに被告人の身上経歴等につき事情聴取を行い、その後被告人に鹿島署まで任意同行を求め、捜査用車両に乗り同日午後零時四〇分ころには鹿島署に到着し、同署刑事課取調室に被告人を入れてから昼食を出したが被告人が箸をつけなかったので、取調べを続行し、そこでは身上経歴のほか、生命保険関係、火災保険関係、賃借関係、家族の収入、前年に発生した前記第二の三2記載のぼや騒ぎ、本件当日及び前日の被告人や家族の行動などについての聴取がされた。この間、同日午後三時ころには鹿島署内に運搬されていたAらの焼死体につき被告人による遺体確認がなされ、同日午後四時三〇分ころから同日午後六時二五分ころまでの間、被告人には本件火災時外出していたことや、前年にも本件建物でぼや騒ぎがあったことなどの容疑点があったことから、放火の方法、場所及び動機等を質問の内容とするポリグラフ検査が被告人に対してなされ、その後に遺体確認についての員面調書が作成されている。被告人に対しては夕食も出されたが、Kの説得にもかかわらずやはり箸をつけず、その後同日午後一一時二〇分ころまで取調べが続けられた。

Kは被告人を取調べる前に、先に事情聴取を行っていたHから、被告人の外出に関する供述がアリバイとして不自然である旨聞いていたことなどから、被告人が放火犯人かもしれないとの疑いは抱いていたが、被告人に対する取調べの方法は、質問すべき項目についてどんどん発問をし、被告人はそれに対して、分かることについては比較的素直にすらすらと答える感じであり、Kはその答えに疑問があってもそれを追及するようなことはしなかった。ただ、取調べの間に、二回ほど「やったのか」と被告人が放火したのではないかと確認する質問はしたが、いずれの際にも、最終的には被告人はこれを否認する態度を示した。

右取調べの間、Kの方から積極的に被告人に休憩時間を与えることはなかったが、逆に被告人の方から、取調べの中止を求めたり、取調室からの退出を求めたりするようなことはなかった。なお、翌日以降も含め、被告人が任意同行を要請されて取調べを受けていた間、被告人がトイレに行く際には、捜査員の誰かがこれに付き添っていた。

同日の取調べ後、被告人は、鹿島署刑事課のL巡査部長と同課のM巡査により、捜査用車両で雇主の田原利一宅まで送り届けられ、同夜は同所において宿泊した。

(二)  同月六日は、午前七時半ころ、鹿島署刑事課第二係長のNが同課のO巡査部長とともに前記田原宅へ赴き、被告人に任意同行を求め、被告人はこれに応じて捜査用車両に乗り、午前八時ころに鹿島署に到着し、同署二階の刑事課取調室まで連れて行かれた。

同日からの被告人に対する取調べは、茨城県警察本部捜査第一課強行係長のP警部補(以下「P」という)が、同課のQ巡査部長(以下「Q」という)とともに担当することとなった。右のように取調官が交替した理由は、J課長が、本件火災は現場捜査等に手間が掛かり、事件が失火なのか放火なのか判然としないようなこともあり、強行犯を専門としている県警捜査一課の捜査員に取調べを担当させた方がいいと判断して、当時別の本部事件で鹿島署に応援に来ていたPに、前日五日の夜にその旨要請したことによるものである。

Jは、Pが被告人を取調べるにあたっては、同人に対し、被告人には本件当日の行動や前年のぼや騒ぎなどによる容疑点はあったものの、本件火災が失火か放火かをまず判断するためにも、被告人の経歴や家族の生活実態などにつき事情聴取してほしい旨の指示をした。また、Pは、すでに前日の取調官であるKから取調べの概略を聞いたり、同人の作成した取調状況報告書にも目を通していたが、自分自身で、直接、被告人の身上経歴等を調べることによりその人となりをまず把握しようとの方針で、被告人の取調べに臨んだ。

一月六日の被告人に対する取調べ時間は、午前八時四〇分ころから午後零時一〇分ころまでの間、午後一時ころから午後六時ころまでの間及び午後六時五〇分ころから午後九時三〇分ころまでの間であり、昼と夕の休憩中には被告人に対し食事の機会が与えられ、取調べの間に被告人から取調べの中止や取調べ室からの退出を求めることはなかった。

取調べ内容は、被告人の身上経歴、家族関係、被告人が経営する熱帯魚店の経営状態、被告人の本件当日の朝の行動などで、この日は員面調書は作成されていない。

被告人作成の同日付けの上申書としては、前年のぼや騒ぎの際にも通帳類の入ったバッグが現場から持ち出され、これを被告人が持ち帰ったことがあったため、本件でも現場から貴重品類が持ち出されている可能性があると判断したJの指示により、本件建物内にあった貴重品類の内容と位置を示すものが午前中に作成されている。Jらは、右による被告人作成の図面に基づいて焼け跡で右貴重品類を探したが、被告人が記載したバッグ類の発見には至らなかったので、バッグ類は被告人が本件火災後に乗って帰ってきて現場付近に駐車してあった自動車の中にある可能性も考えられたことから、同日午後に捜査員が被告人とともに現場に赴き、鹿島署内に移動しておいた右自動車につき、前記第二の三5記載のとおり、被告人立会いの上で午後九時四五分ころから午後一一時四〇分ころまでの間、捜索差押えが実施され、その際三つのバッグ等が車内から発見された。なお、このとき車内から発見された物のうち、右上申書に記載されていたのは、本件建物喫茶店部分の調理場脇の米びつの下に置いてある旨の記載及び図示のある、青色バッグとその内容物のみであった。また、被告人に対しては、右捜索差押えの前に、前記第二の三6(一)記載のとおり、頭髪についての身体検査と差押えも行われている。

前記自動車内の捜索差押えの後は、発見品の任意提出書の作成などがあったため、被告人が同夜鹿島署を出たのは午前零時四五分ころとなり、前記LとMにより、捜査用車両で神栖町木崎所在の民宿池田まで送り届けられ、被告人は、Aの遺族らとともに同所に宿泊した。

(三)  同月七日は、午前八時二〇分ころ、前記LとMが民宿池田まで赴き、被告人に任意同行を求め、これに応じた被告人を捜査用車両に乗せて午前八時五〇分ころに鹿島署に到着した。

被告人の取調べは、前日に引き続きPとQが担当し、前年暮れころからの被告人及び家族の行動のほか、熱帯魚店の経営状態や同店において飼育していた魚の種類等について行われるとともに、本件当日の朝に自宅と「ランボー」の間を往復した経路と、熱帯魚店から「早稲田教育学園」内に移動した熱帯魚の種類等に関する被告人の各上申書が作成され、午前の取調べは午前一一時四〇分ころ終了した。続いて、右各上申書をもとに、P及びQのほか数名の鹿島署員により、被告人を伴った上で、移動された熱帯魚の状況や本件建物のあった場所から「ランボー」への道順の確認などがなされた。この際、本件建物のあった場所から「ランボー」までの自動車を使った場合の所要時間について、実際に自動車を走行させて計測してみたところ、時速四〇キロメートル位の速度で走行した場合にも五分数十秒程度で六分はかからず、時速六〇キロメートル位の速度では三分数十秒位で到着するとの結果が出た。その後鹿島署に戻ってから、被告人に対し一時間位の食事と休憩の時間が与えられた。午後の取調べは、午後二時ころから始まり、被告人から翌日Aらの葬儀があるので早く帰してもらいたい旨の申し出があったことから、午後七時ころには終了し、この日も員面調書は作成されなかった。同日の取調べの間、右申し出のほかには被告人から取調べの中止や取調室からの退出を求めるようなことはなかった。

Pの証言によれば、同人は、同月六日及び七日の取調べにおいては、被告人が本件の犯人ではないかとの疑いは抱いていたものの、被告人の応答に不審な点があってもそれを追及するようなことはせずに、聞き止めておくようにしていたこと、被告人の応答態度は二日間を通じ、質問に対し、それ以上のことをどんどん話すという、基本的に円滑で積極的なものであったこと、この間の被告人は、本件当日の朝の行動について、「午前四時ころ目が覚め、四時一五分ころに車で自宅を出発し、午前四時半ころに『ランボー』に着いた。『ランボー』へ行く途中で道を間違えたために一五分時間がかかった」旨供述していたこと、以上の事実が認められる。また、前記の「ランボー」への道順に関する被告人の上申書は、右のような被告人の供述から、どのように道を間違えたために到着までに一五分の時間がかかったのかを確認する趣旨でPが作成を求めたものであり、右上申書には、「火事になったとき私は家にいませんでした。五日の午前四時一五分ころ、家から車で出かけてポーカーゲーム『ランボー』の店に午前四時三十分頃入りました。その店に午前六時頃までいて、その後車で午前六時十分〜十五分頃家に帰ったら家が火事で焼けていた」との記載がある。

翌日の平成元年一月八日は、Aらの葬儀が行われ、被告人もこれに出席していたことから、被告人に対する取調べは行われなかった。

(四)  同月九日は、午前八時ころ、鹿島署刑事課のR巡査部長が、派出所のS巡査とともに、被告人が七日の夜から父親や弟と宿泊していた神栖町大野原地内のアトンパレスホテルまで赴き、被告人に任意同行を求め、これに応じた被告人を父親とともに捜査用車両に乗せて鹿島署まで同行し、午前八時半ころに同署に到着した後、被告人を刑事課取調室まで連れて行った。

同日の取調べにあたっては、Jは、それまでの捜査や被告人の供述状況から、被告人についは、本件火災時に大した用事もないのに外出しており、被告人が出かけたと主張する時刻から間もなくして本件火災が発生していること、前年に本件建物において同様のぼや騒ぎが発生していること、通帳類や保険証券類等の入ったバッグが自動車の中から発見されていること、高価な熱帯魚が本件建物外に移動されていること、被告人の頭髪の一部が焦げていたこと、火災保険の受取人につき前記第二の三1記載のような言動があった後に被告人がAと入籍していること、前記第二の二3(一)記載のとおり火災保険に加入していたことなどの事実が認められ、このようないくつかの容疑点があったため、被告人が本件の犯人である可能性が高いと判断し、Pに対し、前記の容疑点を告げた上で、同日からは被告人を被疑者として取り調べるよう指示した。

この日の取調べもPと、補助としてQが担当し、右の指示を受けたPは、同日被告人の取調べを開始するに当たっては、同日からは事実関係を追及する旨被告人に対して告げるとともに、「言いたくないことはいわなくていい権利がお前にはある。それは嘘をついてもいいということではないからな」と供述拒否権を告げた上で(なお、これ以前の段階で被告人に対して供述拒否権が告げられた事実は認められない)、午前八時五〇分ころから取調べに入った。

被告人は、この日、本件火災が被告人の放火によるものである旨自白するに至り、その旨の上申書を作成し、翌一月一〇日午前一時三五分、現住建造物等放火被疑事件につき、鹿島署において緊急逮捕されたものである。一月九日朝から緊急逮捕されるまでの間の被告人に対する取調べの間も、被告人から取調べの中止や取調室からの退出を求めた事実は認められない。

平成元年一月九日の被告人が自白に至るまでの取調べ状況に関するPの証言は以下のとおりである。すなわち、九日の被告人の取調べにおいては、それまでの被告人の供述内容やこれと裏付けがとれた事実との矛盾点や疑問点を被告人に対して突きつけ、本件は被告人の犯行ではないかと追及していったが、これに対する被告人の態度は、当初こそ同月六日や七日のときと変わらなかったものの、取調べ開始後三〇分ないし一時間位経過してから次第に机の前に両手を組むなどしてうつむいた状態になり、返事もあまりしなくなっていった。Pが被告人に対して追及した矛盾点のうち、最も重点をおいたのは、被告人の本件当日朝の行動のうち時間に関することで、具体的には、被告人が本件当日朝外出して「ランボー」に行った理由というのは、寝つかれなかったため、同店の店員に貸したドライバーを返してもらいに行ったということだが、そのような理由で外出したというのは不自然であること、午前四時一五分ころに自宅を出て午前四時三〇分ころに「ランボー」に到着したと被告人は供述しているが、「ランボー」に対する裏付けによれば、被告人の到着時間は午前四時四五分ころと認められ、被告人の右供述とは矛盾していること、及び、被告人宅から「ランボー」までの距離は二、三キロ位で、自動車を使えばかかっても五、六分位で行くことができるにもかかわらず、途中道を間違えたことを考慮に入れても一五分もかかったというのは不合理であることなどの点であり、Pはこのような矛盾点につき「おかしいんじゃないか」などと被告人を追及するとともに、家族であったAらが死んでかわいそうではないのかといった趣旨のことを言い、被告人の情に訴える形で自白を求めたりもした。追及の過程では、Pが発問する合間にQが被告人に近づいて、「本当のことを話せよ」などと低音で声を張り上げるようなこともあった。午前からの取調べは午後零時五分ころに終了したが、その間被告人は短い形で自分はやっていない旨返答し、「ランボー」への到着時刻については、「いや一五分に出て三〇分だ。それは向こうがおかしいから調べてくれ」と答えていた。その後、被告人に食事が出されて休憩が与えられ、午後一時五分ころから午後六時一五分ころまで午前と同様の取調べが行われたが、被告人の供述態度にも変化はなく、すぐうつむいて、ほとんど黙っており、Pの発問に対しても短く答えて否認の態度を示していた。被告人に対して夕食が与えられた後、午後七時ころから同様の取調べが再開され、その直後は被告人の態度は夕食前と同様であったが、間もなくして、被告人の方から「石油ストーブ」と言い、「前日火葬場にいてストーブにあたっているうち、五日の朝に出かけるときストーブをつけたことを思い出したが、消したかどうか分からない」旨、居間のストーブの消し忘れによる出火の可能性を疑わせる事実を言い始めた。そこで、Pは、以前の取調べにおいては被告人は本件当日の朝居間のストーブは使わなかった旨はっきり言っていたことから、それはおかしい旨被告人に対して言い、また、「それではストーブが離れているから火がつかない」と追及し、被告人がそのように言うのは、いろいろ言われて自分が苦しくなっているからで、もう言わなければならないと思っているのなら自分で言うほかはない旨声をあらげて怒ったり、諭したりしていたところ、被告人は、なお「着替えをした際、濡れていたジーパンを乾かすためにストーブをこたつの方へ近づけた」旨、失火が原因であるような話もしたものの、「それではつかないんじゃないか。どういうふうにやったんだ」とのPの追及に対し、「実は灯油をまいた」旨、自分が放火したことを自供し始めるに至り、その犯行態様についても、当初は灯油をこたつの布団の周りにまいて、近づけてあったストーブをつけたままの状態で外出した旨言っていたのが、午後七時五五分ころ、「灯油をまいたこたつ布団の角をストーブに付けた。最初こたつ布団の角をストーブの金網に押しつけるようにしたが中まで入らず、金網の下の隙間から差し込もうとしても布団が厚くて入らなかったので、金網を開けて、直接燃焼筒にこたつ布団の角を付けた」旨自白するに至った。そこでPは、その後被告人に、「昭和六四年一月五日早朝自宅で火事になり、妻と子供二人が焼け死んだが、これは私がやった。午前四時三〇分少し前ころ起きて、ストーブをつけ、着替えをした後、貴重品入りのバッグ三個を持ち出す準備をした。その後ストーブのタンクの灯油をこたつの周りの布団や板の間にまき、布団の角をストーブに近づけた。火がつかないのでストーブの前の針金をあけ直接布団の角をつけたらすぐ燃え広がった。それを見て私はバッグを持って玄関から出て『ランボー』へ行った。私は家を全部もすつもりはなかったが、火災保険三、五〇〇万円入っているので家をもして金を取るつもりでやった」旨の図面入りの上申書を作成させ、さらに前年のぼや騒ぎについても被告人が犯人ではないかと追及したところ、被告人はそれも自分の犯行である旨素直に認めたことから、その旨の上申書も作成させ、翌一〇日午前一時三五分に被告人を緊急逮捕し、その後の弁解録取書の作成などの手続は他の捜査官と交替した。自白をして後の被告人は、涙を流して犯行を反省するといった表情や態度の変化はなく、自白までの追及していた過程では寡黙であったのが、従前ほどではないにしても比較的話をするようになった。取調べ状況についてのPのJに対する報告は、被告人が最終的に自白するに至った後は、最初は相取調官のQがJのもとまで行ってしたが、被告人に上申書を作成させたのはJの指示ではなくPの判断によるものである、というものである。

以上のPの証言は、九日の被告人に対する取調べが追及的でかなり厳しいものになっていたことを素直に認めるものであり、同日夕方になり、Pのいう矛盾点の追及に対し返答に窮した被告人が、ストーブの消し忘れによる失火が本件火災の原因である旨述べて追及をかわそうとしたものの果たせずに、結局は自白するに至った過程を具体的に述べているものであり、自白された放火の犯行態様が特殊なものであって、後述のとおり、これが捜査官の誘導に基づくものとは考えにくいことなどに照らせば信用性が高く、これを事実として認めることができる。これに対し、被告人の公判供述中、右認定に反する部分は、被告人の公判供述では九日午後の日没前に自白をしてその旨の上申書を作成したことになるが、それでは捜査官が翌一〇日まで待って緊急逮捕をせねばならない理由が認められず不自然であることなど、あいまいな部分が多く、たやすく信用することができない。

なお、弁護人は、Jの証言によると、同人がはじめて被告人が自白した旨報告を受けた際には詳しい自白の内容を聞いておらず、右報告を受けたJが放火の手段方法を詳しく聞いてほしい旨指示をしたことが認められ、これは、最初に「火をつけて家を出た」旨の概括的な自白をした後にPの誘導的追及により、「油をこたつ布団の周りにまいて火をつけた」、さらに、「ストーブに布団を付けた」、「布団の角を燃焼筒にじかに付けた」と内容が順次具体化したとする被告人の公判供述にむしろ合致する旨主張するのであるが、PがQを通じてJに最初に報告をした際には、まだ被告人の上申書が完成していない段階であり、後にP本人が直接報告に行っていることからすれば、当初の報告内容が被告人が自白をするに至ったことに主眼をおき、内容的にはある程度概括的になったとしても必ずしも不自然ではないし、Jの証言によっても、同人がQを通じて具体的に放火手段につき聞くよう求めた趣旨は、当初「石油をまいてストーブで火をつけた」旨の簡単な報告があったことから、ストーブを用いたという右の放火手段に一部疑問をもったためであることが認められ、この段階ですでに放火手段としてストーブが用いられたことの自白がされていたとすると、これは被告人が公判供述でいうところの自白の変遷過程によっても、すでに内容がある程度具体化した段階を示していることになるのであり、以上に照らせば、弁護人の右主張は前記認定を左右するものではないというべきである。

また、弁護人の主張中には、茨木県鹿島警察署長作成の昭和六四年一月七日付け鑑定嘱託書の謄本添付の犯罪事実において、すでに放火手段につき、本件建物の一階居間において点火させたストーブの炎に灯油をまいたこたつ掛布団の先端を接して点火させて放火した旨の記載があることから、同月九日の被告人の自白以前において、捜査官において右の放火手段につき判明ないし予測しており、被告人の自白もこれに合わせて誘導されたものである旨言う部分もある。しかし、Jの証言によると、右の鑑定嘱託書の謄本が作成されたのは実際には被告人の自白後の平成元年一月一二日であり、昭和六四年一月七日の段階で鑑定資料そのものは茨木県警察本部科学捜査研究所の技術吏員に渡されて口頭での嘱託がなされていたことから、鑑定嘱託書及びその謄本を作成した際にもその日付けにあわせてこれらを昭和六四年一月七日付けにしたものであって、添付書面の犯罪事実についての記載も被告人が自白して勾留された後に作成されたものである旨言うところ、右証言は、右鑑定嘱託書の被疑事件名は放火とされ、犯罪事実には前記のとおりの記載があるところ、同じ日に鹿島署において作成された他の捜索差押許可状請求書や検証許可状請求書においては被疑事件名は殺人及び放火とされ、犯罪事実も放火手段については「詳細不明」として特定がされていないものであること、右鑑定嘱託書添付書面の犯罪事実は、平成元年一月一一日付けの被告人の現住建造物等放火被疑事件についての勾留状添付書面の被疑事実と同一のものであり、同月一〇日付けの逮捕状添付書面の被疑事実にも同一内容の記載があるところ、右記載にある訂正箇所の訂正後の記載が右鑑定嘱託書添付書面の犯罪事実において訂正なしで用いられていることなどの事実に照らせばこれを信用することができるから、弁護人の右主張は採用することができない。

(五)  被告人は、緊急逮捕されて後、弁護人選任権を告げられた上で作成された鹿島署における平成元年一月一〇日付け弁解録取書や水戸地方検察庁における同日付け弁解録取書においても放火の事実を認め、平成元年一月一一日に現住建造物等放火の被疑事実で勾留され、同月三〇日に現住建造物等放火、殺人被告事件の被告人として起訴されたものであるが、この間、同月一一日に水戸簡易裁判所においてなされた勾留質問の際に「事実については何も言いたくない」旨述べているほかは、鹿島署におけるD及びQの取調べにより作成された員面調書ないし上申書や検察官の取調べにより作成された検面調書において、犯行の動機やAらに対する殺意の程度などについては後述のとおり変遷している部分がみられるものの、本件火災が被告人の放火によるものであること、及び、放火手段が、本件建物一階居間において、こたつ布団に灯油をまき、その角を点火しておいた石油ストーブの燃焼筒に直接押しつけて着火させたというものであることなどの点では一貫して自白を維持していたものであり、警察ないし検察庁における取調べに際して、被告人に対し自白を得るためのに暴行や脅迫等の違法な強制が加えられた事実は認められず、取調べ時間も深夜に及ぶようなことはあっても遅くともその日のうちには終了していることが認められる。

二 自白の任意性について

弁護人は、被告人が平成元年一月九日にした自白は、任意捜査とは名ばかりの、実質は逮捕勾留された被疑者に対する取調べと変わらない状況の下でなされた不任意のものであって、その後に作成された、被告人の平成元年一月一〇日付け(四丁のもの)、同月一七日付け、同月一八日付け、同月一九日付け、同月二〇日付け、同月二一日付け、同月二二日付け、同月二三日付け、同月二七日付け(二通)、同月二八日付け(三通)及び同月二九日付け(二通)各員面調書並びに同月二五日付け、同月二六日付け及び同月二九日付け各検面調書は、いずれも右の不任意の自白が承継されたものにすぎないから任意性を認めることはできない旨主張するので、以下において、被告人の右各供述調書の自白の任意性につき検討することとする。

まず、前記第三の一認定の被告人に対する取調べの経過や、昭和六四年一月六日付けの鹿島署において作成された各令状請求書中に被告人を被疑者としているものが存在することなどの事実に照らせば、被告人に対する逮捕以前の取調べは、遅くとも同日以降は刑訴法一九八条に基づく被疑者に対する任意捜査として行われたものと認められるところ、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等、諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において、許容されるものであると解するのが相当である(最高裁昭和五七年(あ)第三〇一号同五九年二月二九日第二小法廷決定。刑集三八巻三号四七九頁参照)。

そこで、右の見地から被告人に対する本件任意取調べの適否につき検討するに、本件は家屋が全焼して三名の居住者が死亡した重大事案であり、本件火災当時外出していたことにより被告人一名のみが本件建物に居住する家族のうちで生き残っていることなどからすると、捜査の当初から被告人家族の生活実態や被告人の事件当時の行動などにつき事情を聴取する必要性のあったことは明らかであり、捜査の進展に伴って、その後判明した事情も含めて認められる被告人に対する容疑の程度からも、被告人に対する取調べを継続する必要性もあったと認められること、被告人に対する任意同行の手段・方法は相当なものであったこと、本件任意取調べを通じ、被告人が取調べの中止や取調べ室からの退出を求めたにもかかわらず捜査官がこれに応じなかったという事実は認められないこと、取調べの態様も、特に平成元年一月九日においては、被告人に対する取調べが追及的で厳しいものになっており、捜査官が被告人に対し声をあららげるようなことがあったことは認められるものの、それ以上に暴行ないしは脅迫がなされるなど自白の任意性に疑いを生じさせるようなものであったとは認められないこと、取調時間も、長時間かつ深夜に及ぶようなことはあっても徹夜になることはなかったこと、昼と夕には食事の機会と休憩時間が与えられ、取調終了後被告人は雇主ないしは親族のいる宿泊先へ戻って宿泊しており、Aらの葬儀のあった同月八日には取調べはなされていないこと、被告人に対して同月九日の取調べにあたり初めて供述拒否権の告知がなされたことは、それ以前の段階での被疑者としての取調べが刑訴法一九八条二項の趣旨に反する点で問題があるものの、被告人が自白するに至ったのは同日の取調べによる追及を受けた同日夜になってのことであり、右一事が同日以降の被告人の自白の任意性を損なわしめるものとは認められないこと、以上の諸事情及び本件事案の性質、重大性を総合考慮すれば、被告人に対する逮捕以前の取調べは、社会通念上任意捜査として許容できる範囲内のものというべきである。

したがって、被告人に対する右取調べの際になされた自白の任意性には疑いがないというべきであるから、その後に作成された各員面調書ないし各検面調書に録取されている自白の任意性を検討するにあたって、被告人が平成元年一月九日になした取調官に対する自白の影響を考慮する必要もなく、逮捕後の取調経過を考慮に入れても、前記各供述調書の自白の任意性には疑いがないものというべきである。

三 自白の信用性と情況事実について

被告人の前記第三の二記載の各供述調書中の自白については、前記第三の一記載のとおり、被告人が自白に至ったのは任意捜査の段階における比較的早い時期においてであり、自白に至った経過も自然なものであって、その後否認に転じることはなく、自白内容も、後に指摘する以外の点では、その基本的部分において終始一貫し、以下に述べるとおり、他の証拠により認定できる事実とも符号し、特段それ自体不合理な点も認められないのであって、本件火災が被告人の放火であることを認める点に関しては、全体として高度の信用性が認められるというべきである。

そこで、以下においては、被告人の自白の信用性につき、犯行状況、動機及び犯行前後の被告人の言動などの諸点に則して、前記第二において認定した事実及びその評価も踏まえた上で、さらに説明を加えることとする。

1 犯行状況

本件建物に放火した際の犯行状況に関する被告人の自白の概要は、「一月四日の夜は居間のこたつでAとうたた寝をしてしまい、目が覚めてからAを起こして一階寝室六畳間に敷いてあった布団にもぐり込み、Aも続いた。一月五日は午前三時五五分ころ目を覚まし、布団から抜け出したが、Aはまだ寝ていた。居間へ入ってストーブを点火し、着替えをした。そして、泥棒が入ったように見せかけるため、厨房の米びつの下からAが隠している青色バッグを、居間のサイドボードからAの茶色セカンドバッグと私の黒色バッグをそれぞれ取り出して、サイドボードの上に置き、テレビの上にあった自分のウォルサムの時計を黒色バッグに入れ、それぞれを持ち出せるように準備した。この間、寝室のAや、二階で寝ているCやBが起きてくる気配はなかった。その後、石油ストーブのところへ行き、カートリッジタンクを取り出そうとしたが、いよいよ居間に火をつけて家を燃すとなるとAらが死んでしまうと思い怖くなって手が動かなくなった。それで一旦ストーブの前にあぐらをかいて座り、決意がぐらついたために色々考えたが、やるしかないと考え、そう決意すると手も動くようになった。灯油が手につかないようにしようと思い、食器棚にあったキッチンペーパーを三枚取り、ストーブからカートリッジタンクを取り出した。最初キッチンペーパーを持った右手でカートリッジタンクのキャップのへそを押して灯油を出そうとしたがうまく流れ出なかった。それで、カートリッジタンクを逆さにして、キッチンペーパーを当てがって右手でカートリッジタンクのキャップをはずした。カートリッジタンクの中にはほぼ満タンの灯油が入っていた。このカートリッジタンクの底を右手で持ち、真ん中あたりを左手で持って、すぐに着火してしまうのを避けるため、最初はストーブの対角線にあたるこたつの角まで行き、カートリッジタンクを傾けてこたつ布団とそのカバーの上に、自分に灯油が跳ね返らないよう注意しながら灯油をまき始め、最初西側を回ってストーブの近くまでまき、次にまた元のところから反対側を回ってストーブの近くまでまき、最後にストーブの前のこたつ布団の角に灯油をかけた。その後カートリッジタンクのキャップを締め直してからカートリッジタンクをストーブに戻しておいた。そして、こたつ布団のストーブ側の角部分を持ってストーブのカバーに押しつけたが火がつかなかったので、今度はストーブのカバーの下の隙間からこたつ布団の角を入れようとしたが、こたつ布団に厚みがあってうまく入らなかった。それで、ストーブを五ないし一〇センチ位こたつに近づけてそのカバーを開け、体の右側がストーブに近くなる斜めの状態で中腰になり、右膝を立て左足を折って足をやや開き、こたつ布団の角を両手を下から入れて持ち上げて、ストーブの燃焼筒の一番上部の鉄板の上に載せるようにしてくっつけた。すると二秒位でこたつ布団の角の幅一〇センチ位の部分に火がつき、最初一五センチ位の高さに炎が上がった。火がついたので、布団を居間の床の上においた。このようにして火をつけたのは午前四時三五分ころと思う。この後、開いていたストーブのカバーを元通りに閉めたが、そのころ左足と左脇腹部が幾らか熱くなったのを覚えている。サイドボードに置いたバッグ三個を持って、玄関から外へ出た」というものである。

そこで、右犯行状況に関する自白の信用性につき検討するに、まず、前記第二の一において認定した出火状況に関する事実に照らすと、本件火災の出火場所については、被告人の自白によると最初に火が回ったのが居間中央に置かれていたこたつの布団部分であると認めることができるところ、これは、本件火災の出火場所が本件建物一階の居間部分と推認でき、特に居間中央部分で大曳や床束が焼失しており焼燬状況が激しいことに照応すること、出火時刻についても、自白における午前四時三五分ころという時刻は、他の証拠により認定した、午前四時三五分から四時四三分ころの間かこれに近接する時刻の範囲内にあること、出火原因については、自白以外の証拠のみによっては被告人の放火行為によるものであるとは認定しなかったものの、逆に被告人以外の者による放火や他の原因による自然発火を疑わせる特段の事情が認められないことは前記のとおりであるところ、焼け跡から発見された本件建物一階居間の石油ストーブが使用状態であったことは、使用状態のストーブを利用して放火したとの被告人の自白と合致するものであること、自白にある放火手段により本件火災に至ることは、司法警察員作成の火災実験結果報告書及び証人村山信之の証言によると、本件建物一階居間及び台所部分を再現した模擬家屋を用いてした火災実験において、右放火手段により出火して火災に至っていることが認められ、これを肯定することができること、本件建物一階居間の床下の土砂について油性反応は認められなかったことについても、右火災実験の際にも模擬家屋床下の地面から油性反応が認められなかったことなどに照らせば、放火手段として灯油が用いられたことと矛盾するものではないこと、以上のとおり認められ、被告人の犯行状況に関する自白については、右自白にあるストーブの燃焼筒にこたつ布団を接着させた事実や灯油をまいた事実を直接裏付ける証拠こそ存在しないものの、以上のとおり他の証拠により認定できる事実と符合する部分が認められる反面、その信用性を疑わしめるに足る特段の矛盾点やそれ自体不合理な点は認められないというべきである。そして、これに加え、右犯行状況に関する自白は具体的かつ詳細であって、そこで述べられている放火手段も、着火手段にストーブを用いるなどの点で特殊なものであって、被告人が真実体験したことを述べているものと見るのが自然であり、これが捜査官による想像を全く許さないものではないとしても、捜査官が、事実に反するにもかかわらずあえて誘導に基づいて右のような放火手段を内容とする自白を被告人から引き出したとは考えにくいことや、被告人が放火を自白するに至った経緯は前記第三の一において認定したとおりであるところ、その後の右放火手段に関する自白内容は、その基本的部分において一貫していることも総合すれば、被告人の犯行状況に関する右自白には、高度の信用性が認められるものというべきである。

なお、弁護人は、犯行状況に関する自白と他の証拠が矛盾する点として、平成元年一月一四日付け実況見分調書添付の現場見取図9によると、本件建物の焼け跡の一階居間部分から発見された石油ストーブの残焼物と電気こたつ発熱部の残焼物との距離が一七〇センチメートルとされているが、こたつ発熱部のあった箇所付近の根太と石油ストーブのあった箇所付近の食器棚カウンター底との距離が、右調書添付の現場見取図4によると一八〇センチメートルとなっており、この直線を底辺として、石油ストーブの残焼物の位置と電気こたつ発熱部の位置とを結ぶ直線を斜辺として構成される直角三角形を想定した場合、斜辺の方が底辺よりも短いのは不合理であるから、こたつの残焼物と石油ストーブの残焼物との距離は少なくとも一八〇センチメートルはあったと考えるべきであり、そうすると火災発生当時のストーブとこたつの位置も距離が離れ過ぎていることになり、自白による放火手段に照らすと不合理である旨主張する。しかしながら、弁護人の指摘する一八〇センチメートルの距離は、こたつ発熱部のあった箇所付近の大曳と石油ストーブのあった箇所付近の食器棚カウンター底との距離をいうものであるところ、右見取図4によると、弁護人が右距離の計測の基準としているのは、むしろ右見取図において一階居間部分の各大曳どうしの距離が約九〇センチメートルとされているところによるものと考えられ、右各見取図によれば、右食器棚カウンター底のこたつ残焼物に近い側の縁の位置は、右カウンター下の大曳の位置よりもこたつ発熱部残焼物の位置に近い側にあると考えられ、弁護人が指摘する箇所の距離は一八〇センチメートルより短いものと考えられること、弁護人が指摘する右距離自体、あくまで石油ストーブの残焼物とこたつ発熱部の残焼物の各中心部分の、南方土台と平行する方向についての距離を指すのではなくて、これらよりもそれぞれ互いに若干離れた位置にある大曳とカウンターの距離を指すものにすぎないこと、こたつ発熱部残焼物は底部を西方に向けて大曳に倒れかかるような状態で発見されており、本件火災により焼け落ちた際に出火以前にあった位置から若干移動した可能性があることなどを総合すれば、右見取図9に記載の一七〇センチメートルの距離が必ずしも厳密なものではないことを考慮に入れても、本件火災が発生した当時の石油ストーブと電気こたつの距離が、被告人の自白にある放火手段では放火できなくなるほどに離れていたことを疑わせるに足るものとは認められないというべきである。また、右各見取図によれば、距離は計測されていないが、右石油ストーブの残焼物と右カウンターの間にも若干間隔があることが認められるから、右各見取図が、犯行前に石油ストーブをこたつ側にずらした旨の被告人の自白と矛盾するものとも認められない。

弁護人は、前記第二の一3に記載したとおり、Cが本件火災による死亡の直前に本件建物一階で排尿のためにトイレに行き、かつ、食事もしたことを前提とした上で、Cがそのような行動をとれば、自白によると犯行時まで居間にいた被告人がこれに気づかないはずがないのに、自白にはその旨の記載がないから不自然であるとも主張するが、前記のとおり、その前提自体が可能性の範囲にとどまるものであり、これが自白の信用性を左右するものとも認め難い。

また、弁護人の主張中には、本件火災の出火推定時刻は本件当日の午前四時四〇分であり、本件建物から出かけた被告人が「ランボー」に到着したのは、前記井戸の証言によると同日午前四時四〇分ころであると認められるから、被告人にはそもそも本件につきアリバイが成立する旨言う部分もあるが、しかしながら、被告人の自白を除く証拠により認められる出火推定時刻にはある程度の幅が認められ、これが被告人の自白にある放火時刻の午前四時三五分ころを含むものであることは前記のとおりであり、井戸の証言を総合すれば、被告人が「ランボー」に到着した時刻は午前四時四〇分ないし四時四五分ころの間で、その中でも午前四時四二、三分ころの可能性が高いと認められることも前記第二の三4(一)認定のとおりであって、以上と、P及び井戸の証言や、公判調書添付の図面の被告人が地図上に記入した本件建物と「ランボー」の位置関係により認められる、本件建物からランボーまでの自動車を利用した場合の所要時間はかかっても、五、六分程度であることを併せ考えれば、被告人は自白のとおり、本件当日午前四時三五分ころ(ただし、右時刻も被告人がその際に時計で確認した旨の供述は自白中にもなく、あくまで前後に若干の幅のある時刻というべきである)に放火をした後、本件建物を出て、前記認定時刻に「ランボー」に到着することは十分可能であったというべきであり、被告人にはアリバイが成立する旨の弁護人の右主張を採用することはできない。

なお、犯行状況に関する被告人の最終的な自白の概要は前記のとおりであるところ、被告人が放火の際に石油ストーブの灯油をまいた箇所については、被告人の平成元年一月九日付け上申書及び司法警察員に対する同月一〇日付け弁解録取書においては、本件建物一階居間のこたつ布団のみならず、同所の板の間にもまいた旨の記載があり、この点が以後の自白とは異なっているものの、放火手段の基本的部分についてまで変遷の見られないことは前記のとおりであること、右の灯油をまいた箇所についても、同日付けの員面調書で「コタツの周辺」となり、同日付けの検察官に対する弁解録取書では「こたつ布団」となり、その後自白が詳細・具体化して以後は右部分に変遷は認められないこと、同月九日付けの上申書が作成された際の取調官であったPは、右上申書で灯油をまいた箇所として板の間の記載もあるのは、灯油をまいたのはこたつ布団の上部にだが、その灯油が板の間に流れ出たという意味だと思う旨証言していることなどに照らすと、右の部分に関する自白の変遷が、犯行状況に関する自白の信用性を左右するものとは認められず、また、灯油をまいたりする際にキッチンペーパーを用いたことについては同月二六日付けの検面調書に記載される以前の自白には記載のなかったことであるが、これも自白の内容が取調の過程でより詳細かつ具体的になったものと理解することができ、これも自白の信用性を左右するものではないというべきである。

前記の自白の概要で触れた部分に関して自白内容の変遷が認められる他の部分としては、被告人が本件当日起床した時刻があるが、この点についても、同月九日付け上申書においては「午前四時三〇分少し前頃」、同月一二日付け上申書では「午前四時頃」となっておりそれぞれ異なるが、被告人は、本件を否認している当公判廷においても、本件当日起床した時刻は午前三時五五分ころである旨供述していることからすれば、右上申書以降の自白において起床時刻を午前三時五五分と述べていることが、捜査官が時間を逆算することによって出てきた時間である旨指摘する弁護人の主張も採用できず、この部分に変遷のあることが直ちに自白の信用性に影響を与えるものとは認められない。また、弁護人の指摘する、犯行当時被告人がはいていた靴下の色についての自白の変遷も、いわば末節部分というべきものであって、これが直ちに自白の信用性を左右するものでないことは前記と同様であり、その他の箇所につき認められる変遷部分も、以下において指摘するものを除くほかは同様に理解することができる。

2 動機

本件家屋に放火した動機の形成や犯行前の行動に関する被告人の最終的な自白の概要は、

「趣味は熱帯魚を飼うことで、中学生のころから熱帯魚に興味を持って飼育するようになった。Aと同棲を始めて後、昭和六一年一〇月か一一月ころに再び熱帯魚を飼育するようになり、同年暮れころには水槽の本数や熱帯魚の種類や数も増えたことから、Aの勧めもあり、昭和六一年一一月中旬に、石岡信用金庫神栖支店からA名義で借りてもらった二〇〇万円を開業資金として、熱帯魚店『○○』を開店した。この二〇〇万円の借入金の月々の返済額は六万円位で、私が『○○』の売上金からAに渡して返済する約束だった。昭和六二年八月か九月ころには仕入れの金が不足し、Aに話すと、やり方が悪いなどとさんざん文句を言われたが、また石岡信用金庫神栖支店から一〇〇万円を借りてくれて、一回目の二〇〇万円と併せて毎月一一万円をAに渡し借金を返済していくという約束になった。当初はAから提供を受けた資金があったことから、仕入れ先である『東京ペット商会』に対しても現金払いをしていたが、その後は掛けで仕入れるようになり、月々の売上げの中からAへの返済もせねばならなかったことから、仕入れ代金の支払いが思うようにいかず、昭和六三年三月ころから掛けで仕入れる量が増え、同月末三〇万円位とつけがたまるようになった。自分は給料を毎月全部Aに渡していて、小遣いとして月に一、二万円位しかもらっておらず、自由になる金がなかった。熱帯魚店の売上げからAへの返済や仕入れ代金を差し引いた残りが自分の小遣いになるはずだったが、売上げが儲からず、月々の売上げがAへの返済分にも届かない場合もあり、仕入れ代金に回す分を自分の小遣いに当てていたので、仕入れ代金がたまってしまった。しかし、好きで始めた熱帯魚店をやめるつもりはなく、反対に店を大きくする夢を持っていた。

丁度そういう時期の同月ころ、山口茂男が『××』に来てAに火災保険への加入を勧め、私もその話を聞いた。神栖町では不審火が多いということを知っており、その割には犯人が捕まったという話も聞かなかったので、皆うまいことやって保険金でも手にいれているのだろうと考えていた。私もうまくやれば家や店を火事にして火災保険金をもらえるのではないか、そうすれば仕入れ代金も支払えるし、どんどん仕入れもできるのではないかと考えた。それで山口茂男からの保険加入の話があって間もなくして、Aに火災保険に入る旨言うと、Aも了承したので加入することにし、すでに加入していたF名義の本件建物についての一、二〇〇万円の保険に加え、昭和六三年三月一六日、喫茶店の設備に五〇〇万円、熱帯魚店に五〇〇万円、家財道具に七〇〇万円、建物について六〇〇万円の保険をかける契約をし、結局合計三、五〇〇万円の火災保険に加入した。A名義の契約だったので、Aや子供たちが火事で死んだ場合保険金が誰の手に入るかはっきりせず、契約の二、三日後に山口茂男の事務所でそのことを聞くと、Aと入籍しないと自分が保険金をもらえないことがわかった。Aとの入籍については昭和六二年四月ころから考えていたが、Aがなかなか婚姻届を出してくれなかったので、昭和六三年三月ころから近くのスナックに頻繁に通うなどした上でAに入籍を求めていたところ、Aもこれに応じて同年六月一〇日に入籍することができた。『東京ペット商会』からの仕入れは続けていたが、売上げを月々一一万円位のAに対する返済や遊興費に充ててしまうため、仕入れ代金は支払えず、同年五月末か六月初めころには六〇万円位の請求書が送られてきて、この請求書を同年七月末ころAに見つけられてしまい、『何でちゃんと払わないの。これだけたまるまでどうして言わなかったの。つけはこれだけしかないの。仕入れの仕方が悪いんだ』などと文句を言われた。その際一一〇万円位つけがたまっていたので、Aに一〇〇万円位払えば終わる旨言うと、同年八月初めころ、Aは『東京ペット商会』の口座に一〇〇万円を振り込んでくれたが、もうこれ以上Aに金を出させるのは無理だと思った。このころからAは金のことでヒステリックに文句を言うようになった。しかし熱帯魚店を閉める気などさらさらなく、どうしようもなくなれば家や店に火をつけて火災保険金をもらい、それで支払いを済ませようと考えていた。八月に一〇〇万円を払ったことで掛けでの仕入れを続けることができたが、代金を支払わないと信用をなくし、二〇〇万円もつけがたまれば掛けで仕入れることは無理だと考えた。同年一〇月初めころ、また『東京ペット商会』から九〇万円位の請求書が送られてきた。これ以上Aに金を出してもらうことはできないと思い、いよいよ火事を出して火災保険金をもらうしかないと考えた。この請求書は隠しておいたが、Aに見つけられて文句を言われた。その時は税金関係の書類である旨言い逃れをしたが、それが嘘であることはAも薄々感づいていたと思う。一〇月二六日には、喫茶店のガスコンロの火が泥棒に入られてつけっぱなしにされて火事になったように装うことに最終的に決意した。熱帯魚店の方も燃えてしまうおそれがあると思ったので、一〇月初めから一〇月二三日ころにかけて、友達にも手伝ってもらい、三回にわたり、レッドアロワナ、オレンジアロワナ、ダトニオイデスミクロレピスなどの値段が高かったり好きな熱帯魚や水槽を向かいの塾の方に運んだ。

一〇月二七日は、午前五時ころ起きて、一人で布団を抜け出し、午前五時半ころ、喫茶店の厨房に行き、ガスコンロの上にフライパンを置いて天ぷら油を入れ、ガスの火をつけ、中火程度にした。こうすれば火にかけた天ぷら油が過熱して火事になると考えたが、喫茶店や居間の一部が燃えたところには、子供が起き出す時刻になって気づき、Aらは焼け死なずに助かるのではないかとという気持ちの方が強かった。そして、泥棒が入ったように見せ掛けるため、居間のサイドボード内にあった通帳や印鑑を入れておく赤茶色のセカンドバッグと、居間のこたつの上にあった普段Aが持ち歩いている現金や免許証の入ったこげ茶色のバッグ(ルイ・ヴィトンのコピー)と、喫茶店のレジ内にあった現金二万円位をそれぞれ持ち出すとともに、熱帯魚店の出入り口から外へ出て、シャッターを下に若干隙間があく程度まで下ろし、これを完全に閉めない状態にしておいて、車(カムリ)に乗って『東京ペット商会』へ向かった。『東京ペット商会』に着くと、Aから電話が入っていたことを聞き、そこからAに電話を入れたところ、泥棒に入られて火をつけられたが火事の方は大したことはなかったと聞かされ、計画が失敗したことを知った。持ち出したバッグのうち、赤茶色のものは家に帰る途中で利根川に捨てたが、こげ茶色のバッグの方は、中から現金一二万円位を抜き取った後、A名義の運転免許証等が入っていて再発行の手続が大変だろうと考え捨てないでおき、近所のごみ箱を探したら見つかった旨嘘をついてAに返し、警察官にも自分が見つけて来た旨言って書類を作ってもらった。結局この盗難とぼや騒ぎでは、保険金は工事代くらいしかおりず、私の手には一銭の保険金も入らなかった。

『東京ペット商会』の方は、その後も掛けでの仕入れを続け、支払いは、通帳類の入ったバッグが盗まれてしまったので再発行手続が終わったら払う旨言ってごまかしておいた。一二月二九日か三〇日ころに『東京ペット商会』に電話を入れた際、Gからつけが一五〇万円位たまっている旨言われ、近いうちになんとかする旨答えておいた。信用を維持するためにはいつまでも支払いを延ばしているわけにはいかず、仕入れ代金のつけを払っておくことが是非とも必要だと思った。一回目は失敗したものの、金を手に入れるためには、火事を出して保険金を手に入れるしかないと思っていたので、一一月と一二月にも、一〇月と同様に高価な熱帯魚や珍しい熱帯魚を塾の水槽に移動した。好きな魚を手放してつけを払う考えは全くなかった。方法をいろいろ考えたが、確実に火をつけて家を燃すために、灯油を居間にまいて居間の石油ストーブの火を使い燃え上がらせることにし、今度も泥棒が入ったように見せ掛けることにした。夜中に火をつければ寝ているAらが焼け死ぬことも考えた。Aについては、Aがいると家の金を自由に使うことができず、仕入れをしたり、熱帯魚店を大きくしたり、つけを払うことが自由にできないので死んでしまった方がいいと考えた。しかし寝室には窓があり、早く火事に気づけばそこから逃げることができるかもしれないが、そのときは仕方がないと思った。BとCについては恨みなどはなかったが、逃げ遅れて死んでも仕方ないと思った。一二月初めころには大体考えがまとまり、一二月末にはAや子供が死ぬことを覚悟の上で家に火をつける以外にないと決意を固めた。私の頭に一番あったのは三、五〇〇万円の火災保険金だが、こくみん共済の生命保険のことについても考えていた。こくみん共済保険の詳しい内容は覚えていないが、Aらが火事で死ねば、合計二、〇〇〇万円位の保険金がもらえると思っていた。昭和六四年一月四日の午後、翌日の一月五日が鳶の仕事始めで早く起きる必要があり、少し位早く起きて自宅に火をつけ出かけても、仕事初めで早く目が覚め寝つかれずに外に行っていた旨言えば怪しまれないだろうと思い、一月五日の早朝に計画を実行することに決めた。Aの友達のクミちゃん(井戸のこと)が「ランボー」に一月四日午後七時ころから翌日午前七時ころまで勤めていることを知っていたので、家を出たらすぐそこに行こうと思った。居間のこたつにまく灯油は、居間の石油ストーブのカートリッジタンクの中のものを使おうと考えていたので、熱帯魚店に置いてある灯油の入ったポリ容器から、そのカートリッジタンクに灯油を入れて補充しておいた」

というものである。

もっとも、被告人の自白のうち、本件当日に本件建物に放火した動機に関する部分については、被告人が最初に自白して後、その内容に以下のとおりの重要な変遷が認められる。すなわち、平成元年一月九日作成の上申書では、「家を全部もすつもりはなかったが、三、五〇〇〇万円の火災保険に入っているので、家をもして金を取るつもりでやった」旨述べ、同月一〇日付け員面調書では、「『○○』の経営が不振で仕入れの支払いも思うようにできないことから、自宅や店に入っている火災保険金三、五〇〇万円をだまし取るつもりだった。一五〇万円の支払いが迫っていたので、どうしても火災保険金を手に入れるには仕方ないと思った」旨述べ、同日付けの検察官に対する弁解録取書では、「借金を返すためなどに金が必要となり、自宅兼店舗に放火して火災保険金をもらおうと考えた」旨述べ、以上の自白においては、借金返済等のため火災保険金目的で放火した旨自白し、Aらに対する殺意の有無につき記載があるものも、それはAらの死についての未必的な認識・認容を内容とするものにとどまっていた。それが、同月一四日付け上申書では「自分の好きだった熱帯魚店を大きくすることや、熱帯魚店の仕入れ代金を払うため、家族の生命保険や火災保険の金を取ろうと思った」旨、従前の火災保険金目的に加えて、右以降の自白においては生命保険金をも目的とした犯行であった旨述べるようになり、右上申書においてはAらに対する殺意についての明確な記載はないが、同月一九日付け員面調書においては、「妻や子供が死ぬ事も考えた。死んだらどうしようか考えたとき、それまで家の金は女房が握っており、私は月一万か二万円の小遣いで自由にならなかったこと、これから先自分では熱帯魚店を大きくしたいという夢があったが、女房がいたのでは許してくれるとは思えなかったし、一〇月に自宅に放火したことにつき女房が私を疑っている様子があったので、今度も火事になったことを知れば必ず疑われると思ったし、火災保険金についても、家に火をつけて金をもらっても受取人は女房であり、金に細かい女房が生きていたのでは自分の自由にできないなどと考えるとともに、女房や子供達が死ねば火災保険金のほかに生命保険金だって入るし、そうすれば自分で自由に金を使い熱帯魚店を大きくすることができるなどと考えるようになり、最後は女房や子供達も火をつけて殺してしまおうと、昭和六三年一二月初旬ころには考えていた。しかし、そうは考えたものの、火事にしても助かるかもしれないとも考えた」旨述べ、平成元年一月二〇日付け員面調書においても「Aと一緒にいては、自分の自由にできる金は出来ないと考えるようになり、最初は火災保険金だけを狙って火災保険に入ったのだが、一二月初めころには、妻を殺すほかない、妻が生きていたんでは、自分の自由になる金はできないと考えるようになった」、「Aや子供達も火をつけて殺し、火災保険金だけではなく、生命保険金も取ってやろうと前から考えていたが、その晩(本件の前日のこと)喧嘩したときも、金のことで言われたので、こんな女といつまで一緒にいても金は自由にならないという気持ちを強め、明日の朝は火をつけてAや子供達を殺すほかはないという気持ちを強くした」旨述べ、Aのみならず、BやCに対しても確定的殺意を抱いていたともとれる供述をしており、同月二一日付け員面調書においても、本件当日に放火のために居間の石油ストーブからカートリッジタンクを取り出そうとした際の心理につき、「もしかしたらAらが助かってしまうかもしれず、そのときは仕方ないなどと考えたが、最後は以前から考えていたとおり、Aや子供達を殺さなければ家の金が自由にならず、自由になる金を作るためにはAや子供達を殺して一人になるほかはないと考えた」旨述べている。これが、同月二二日の員面調書においては「今まで女房や子供を殺す考えでと言ってきたが、自分の気持ちとしては、女房さえいなければ金が自由に使えると思い、女房は殺そうと考えたが、子供達まで殺そうとは考えなかった。しかし、火をつけて火事にして殺そうと考えていたから、子供達も焼け死ぬかもしれないとは思っており、死んだときは死んだで仕方ないとは考えていた」旨述べており、右以降の自白においては、前記概要のとおり、基本的にはAに対しては確定的殺意、B及びCに対しては未必的殺意を有して本件犯行に及んだことを内容とする自白となっているのである。もっとも、右以降の自白においても、同月二八日付け員面調書(七丁のもの)に「Aさえいなくなれば保険金全部自分の自由になると考えて殺そうと思って火をつけたのですが…それ程Aに対して憎しみを持っていた訳けではありませんから…直接手を出して殺そうとは考えませんでしたが、前々から家に火をつけることは考えていたので、火をつけて女房のAが死んでもかまわないという気持ちだったのです。…最後は自由になる金を作る為にはAを殺すほかにないと考え灯油をまいて火をつけたのです」と記載のあるように、Aに対しても未必的殺意しか有していなかったともとれる部分もある。

そこで、以下、被告人が本件建物に放火した動機、及び、併せてAらに対する殺意に関する自白の信用性につき検討するに、まず、被告人の自白中、犯行の動機につき、熱帯魚店の仕入れ代金の支払いに窮した被告人が、同店経営を継続するために、火災保険金目当てで本件建物に放火することを決意した旨言う部分に関しては、これを裏付けるものとして、右自白中の、被告人がAから資金提供を受けて熱帯魚店「○○」を経営するに至った経緯については前記第二の二1認定の事実に、「東京ペット商会」の「○○」に対する売掛金残高が増加し、被告人に対し二度請求書が送付され、被告人がGに対し近々右代金を返済する旨言っていたことなどについては同2認定の事実に、本件建物等につき従前からの更新分を含め、保険金額合計三、五〇〇〇万円の火災保険契約が締結されており、新規の契約の締結に被告人が関与していることは同3認定の事実に、右契約の締結後、被告人が保険金の受取人につき山口茂男に尋ねたことは同三1認定の事実に、その後被告人がAと婚姻して入籍したことについては同二1認定の事実にそれぞれ符合していることが認められること、右動機は十分に納得しうるものであって、それ自体に不合理な点はないこと、動機を右のようにいう限度においては被告人が自白した当初より終始一貫しており、その内容の基本的部分に変遷は認められないことなどに照らせば、その信用性を肯定することができる。被告人の公判供述中これに反する部分は、これを裏付けるものはなく、「東京ペット商会」に対する負債が支払いのなされないままで一七〇万余円に至るまで増加した理由や、予定されていたというこれに対する返済の具体的方法につき十分な説明がなされていないものであって、たやすく信用することができず、他に右自白の信用性を覆すに足りる特段の事情は認められないというべきである。

しかしながら、他方、被告人の自白中、本件犯行の動機につき、さらに火災保険金に加え、Aらの加入している生命保険金の取得まで積極的に意図したものであって、Aに対してはその死を意欲して確定的殺意を抱いていた旨言う部分に関しては、確かに、前記第二の二3(二)記載のとおり、契約者を被告人、被共済者を被告人及びAらとする生命保険契約が締結されていた事実が認められ、また、被告人がその存在自体を認識していたことについては被告人の公判供述に照らしてもこれを肯定することができるものの、右生命保険契約の締結はAが被告人名義で行ったものであって、被告人が直接これに関与した事実は認められないこと、Aに対する確定的殺意を認める被告人の自白中にも、右生命保険の内容につき、保険金額などの詳細についてまで認識していた旨の供述はなく、P及びJの証言によっても、被告人に対する鹿島署における取調べの際、右生命保険の内容につき、むしろ被告人はその詳細までは知らなかったことが認められるところ、右の保険金の取得を積極的に意図して犯行に及んだのであれば、その内容につき事前に正確に把握しておくのが自然なはずであること、右の点に関する被告人の自白内容については、前記のとおり、当初の自白においては火災保険金の取得のみを目的とし、Aらに対する確定的殺意についても否定していたものであったのが、その後、生命保険金の取得をも目的としたものとなり、殺意に関しても、一旦はAら全員に対する確定的殺意を有していたともとれる供述に変わり、それが最終的にはAのみに対して確定的殺意を有していたとする供述になるなどの看過し得ない変遷が認められ、その一貫性を欠いていること、右の点に関する自白のみ遅れてなされたことについて、自白調書やPの証言に照らしても、被告人において特段の理由が述べられているわけではないこと、Pの証言によっても、被告人が生命保険金の取得まで目的としていたものである旨認めるに至った際の取調べの経緯は、被告人は当初自白して以降もこの点については否定しており、積極的な供述は得られなかったので、Pの方から質問をぶつけて聞いていくと、そういう気持ちもありましたと被告人が答えるので、それを最終的に被告人に説明させるという方法によっており、具体的には、「生命保険の加入状況につき知っているのか、詳しくは知らないようだか、結果的には知っているというので、概略的にはどういうのを知っているのか、じゃあ火災保険目的で火を付けたというけれども、そのときに家族が死ぬと、死ぬかもしれないということも考えていたと言ったらば、死んだ場合には、当然、生命保険の金も入るしということで、私の方から水を向けて聞いていった。死ねば生命保険の金も入るということは自分も認識していたと答えたので、じゃあそれはいつのころの時点だという形で、被告人がこれを認めるに至った」旨言うのであり、右のような誘導的な追及が右の点に関する自白の契機となったことは否定できないことなどに照らせば、本件犯行の際の被告人の認識としては、真実は、単に生命保険にAらが加入していたという事実を認識していたにすぎないか、Aらが火災により死亡するに至った場合には右生命保険の保険金を取得できることになり、あるいはAが死亡すれば金を自由に使えるなどということを、単に物事の筋道として認識していたにとどまり、生命保険金の取得やAの死亡を積極的に意欲してまではいなかったものが、右のような意欲があるかのごとく調書化された疑いも存するところであり、以上からすれば、被告人の自白のうち右の点に関する部分については、軽々にその信用性を肯定することはできないというべきである。

なお、弁護人は、「東京ペット商会」に対する支払いをして信用を維持するために本件建物に放火したという動機は、そもそも放火により熱帯魚店まで焼失してしまってはその意味がなくなってしまうのだから論理的に矛盾があるし、焼失してしまう熱帯魚店のために、すでに犯行を計画していた昭和六三年一一月や一二月ころの時点においても熱帯魚の仕入れを継続したのは不合理である旨主張するのであるが、しかしながら、前記自白の概要によると、被告人が最終的に本件の犯行方法により放火することを決意したのは同年一二月末に至ってのことであること、本件の放火の際にも、前年に一度放火を試みた際と同様、被告人は本件建物につき火災が発生したとしても、必ずしも確実に本件建物が全焼して熱帯魚店が焼失することまで意図していなかった疑いもあること、後述するとおり、放火により熱帯魚店が焼損ないし焼失する場合をも予測して、高価な熱帯魚などについては他の場所へ移動していることなどに照らせば、右の被告人の動機は、本件建物に放火することにより、仮に熱帯魚店内に置かれた熱帯魚の一部ないし全部が焼失したとしても、むしろ「東京ペット商会」の信用を維持した上で、焼失を免れた熱帯魚や新たに取得する火災保険金を元手にして、本件建物の改築と熱帯魚店の再興を図ろうとしたものとして理解することが自然であり、これになんら不合理な点は認められないし、放火を計画していた段階において熱帯魚の仕入れを継続していたことについても、未だ最終的な決意には至っていなかったことや、被告人の自白中にもあるように、本件火災の前になって仕入れを中断した事実があっては、そのような被告人の行動が放火のための準備工作として嫌疑の対象になる可能性もあるとの考えから、場合によっては焼失に至るかもしれない熱帯魚の仕入れを継続していたものと考えられることなどに照らすと、これが必ずしも不合理なものとはいえず、そうすると、弁護人の右各主張については、いずれも前記の動機に関する自白の信用性についての認定を左右するものではないというべきである。

3 その他の情況事実との関係

(一)昭和六三年一〇月二七日のぼや騒ぎについて

被告人の自白中の、昭和六三年一〇月二七日に、火災保険金目的で、本件建物喫茶店厨房のガスコンロの上にフライパンを載せ火をつけっぱなしにした状態で出火するようにして、その際泥棒の仕業に見せかけるためにバッグ二個及び現金等を持ち出して外出したが、結局ぼや騒ぎ程度にとどまり大事には至らなかった旨言う部分については、前記第二の三2記載のとおり、これに符合する事実が認められるところである。右認定事実については、本件建物内で早朝に発生した出火事件であること、その際本件建物からバッグ等の貴重品類が持ち出されていること、及び、右事件の発生が覚知された際被告人が外出していたことなどの点で、本件火災の際の状況と類似しているものであり、バッグ類等が持ち出され、Aからその旨の被害届も提出されていることからすれば、これを家庭内におけるガスコンロの消し忘れによる単純な失火事件と見ることはできず、被告人が、右事件の当日、本件建物から持ち出された物品を探していたところ、紛失したバッグのうち一つを神栖町内の自動車学校近くのごみ置き場付近でたまたま発見したとする言動も極めて不自然なものであって、右事件についての被告人の関与を強く疑わせるものであり、以上の事実は、右事件を被告人による放火事件と考えた場合には自然なものと理解することができ、これは被告人の自白の信用性を担保するとともにこれを補強する一事情となるものである。

(二) 犯行前の熱帯魚の移動について

被告人の自白中の、「○○」内の熱帯魚の一部の高価なものなどを、火事による焼失を避けるため、本件火災以前の右(一)のぼや騒ぎの前後にわたり、水槽数本とともに、同店舗内から向かい側の清伸ビル内にあるAの経営する学習塾内へ移動した旨言う部分については、前記第二の三3において認定した事実に符合することが認められるところ、移動された熱帯魚と、右店舗内の焼け跡から発見された熱帯魚の死骸から推測できる本件火災時に同店舗内に存在した熱帯魚とを比較した場合、右店舗内に存在した熱帯魚の中には体長が短いために焼失して死骸が発見されなかったものがあったことを考慮に入れても、明らかに前者の方が高価な種類のものが多いこと、被告人は当公判廷においては、熱帯魚を移動した理由は主として右店舗内を改装するためである旨供述しているのであるが、自分では図面を書いたり誰に注文するかを考えていた旨言うのみで、改装の着手時期を決めたり、業者などの第三者に対する具体的な改装内容の相談や注文などがなされていた事実は認められないのであって、改装計画が未だ具体化していない段階で熱帯魚を移動する必要性は認め難いことなどに照らすと、右認定事実も被告人の自白を裏付ける一事情になるというべきである。

(三) 犯行後の被告人の所在及び言動について

本件建物に放火して後の本件当日の行動に関する被告人の自白の概要は、「玄関を出てから、熱帯魚店の角のところにとめてある車(白色のカムリ)に乗り込み、持ち出した三つのバッグを助手席の下に押し込んで隠し、知り合いのクミちゃんのいる『ランボー』に向かって出発した。時速六〇キロメートル位の速度で走り、慌てていたこともあり途中若干道を間違え、午前四時四〇分を少しすぎたころに『ランボー』の駐車場に着いた。店に入り、クミちゃんに、こんな時間にどうしたのと聞かれ、目が覚めて寝られない、道を間違えたなどと答え、午前六時ころには一旦家に帰る旨話していた。店にいるとき、外のスピーカーからチャイムが鳴り、何かを知らせる声が聞こえ、私は家の火事を知らせる街頭放送だと直感し、急に心臓がドキドキしてきた。これを聞いたクミちゃんが『火事じゃないの』と言うのに対し、私は『有線じゃないのか』と答えてごまかした。いつもどおりを装うために午前六時ころまでには家に帰りたかったので、時間が気になり始め、午前五時五五分になったのを腕時計で確認して、『ランボー』を出て、車に乗って家に向かった。国道一二四号線沿いにある朝日生命の建物の脇を通ったとき、そこから入った先の私の家のあるあたりの道路に消防車がとまっていて、そのあたりから白い煙が上がっているのが見えた。家が全部燃えてAらが死んでしまったのではないかと思うと恐ろしくなった。それまでは怪しまれないようそのまま家に帰るつもりだったが、怖くなってしまい、どこをどう通ったか正確には覚えていないが、時速四〇キロメートル位の速度で波崎方面に車を走らせ、奥野谷の十字路あたりまで行ってユーターンした。車を走らせているうち、怖いけれどとにかく戻らなければ怪しまれると思ったので家の前まで戻った。助手席の下に隠したバッグをどこに隠したり捨てたりする考えは浮かばず、外から見える状態ではないので見つからないだろうと考えた。山口茂男の店の前に車をとめると、山口茂男が出てきて『どこに行ってた』と聞くので、平静を装って『目が覚めて眠れなかったので知り合いのところに行ってきた』旨答え、『ママはどうした』との問いには、『寝てるよ』と答えた」というものである。

右の点に関する自白は、前記第一記載の本件火災時の消防車の出動及び鎮火状況並びに前記第二の三4記載の本件火災時及びその後の被告人の所在及び言動につき認定した各事実に符合するものであること、本件火災の出火推定時刻と近接する時刻に被告人が知人のいる「ランボー」に姿を現して所在を明らかにし、本件火災が第三者により発見された際には現場である自宅を離れていたという事実については、仮に本件火災が被告人が公判廷で述べるように、被告人が自宅を出た後に発生した、被告人の放火以外の原因によるものだとすると、被告人が火災の発生に遭遇しないまま難を逃れたのは単なる偶然にすぎないことになるが、むしろ右の被告人の行動は、自白にあるように、本件建物に放火した後に早急に現場を離れ、知人のいる場所に顔を出して所在を明らかにすることで、一種のアリバイ工作を図ったものとして考えた方が自然であること、被告人は「ランボー」では本件当日午前六時ころまでには本件建物に戻る旨言っており、午前五時五五分すぎころには「ランボー」を出発しているにもかかわらず、前記のとおり寄り道をしなければ自動車で五、六分程度もかからない位置にある火災現場に帰着したのは、「ランボー」を出発して約三五分を経過した午前六時三〇分ころになってのことであって、この事実は、自白にあるように、一旦は火災現場の近くまで戻ったものの、恐怖心から一時別の場所を走行していたものとすれば自然に理解することができることなどに照らせば、その信用性を肯定することができる。

もっとも、被告人は、当公判廷において、本件当日の行動のうち、起床して家を出るまでのことについては、前記第二の一3記載のとおり、午前三時五五分ころに目が覚め、居間のストーブをつけて着替えをした後、午前四時一五分ころかそれ以降に家を出た旨供述し、その後の行動については、「二度寝ができないので時間つぶしに家の前にとめてあった車を運転して出かけた。最初は国道一二四号線に入りそこを潮来方面に進行し、途中でその先にある二四時間営業のゲームコーナーに行こうと考え、その駐車場まで入ったが、気が変わって『ランボー』へ行くことにし、午前四時四〇分から四五分ころに『ランボー』に到着した。鹿島署に任意同行されて取調べを受けていた際には、途中寄り道をしたことは覚えていたが、ゲームコーナーに寄ろうとしたことは忘れていた。田原建設の社長から朝必ず電話をしてくるのが午前六時半ころなので、自宅にはそのころまでに帰ればいいと思っていた。午前五時五五分ころの『ランボー』を出る間際になり、子供がこの日卓球部の部活で学校に行かねばならないことを思い出し、知手にあるパン屋に寄って朝食のパンを買って帰ろうと思い、『ランボー』を車で出発してそちらに向かったが、途中で時刻を確認すると午前六時一五分ころになっており、パン屋まで行って引き返したのでは午前六時半までに自宅に戻れないと判断したので、そのまま自宅に帰った」旨供述している。

しかしながら、被告人の右公判供述のうち、「ランボー」への往路と復路において他の場所へ寄ろうとした旨の供述部分については、当公判廷における被告人質問において初めてなされたものであり、前記第三の一記載のとおり、被告人が本件を否認していた任意捜査の段階においても、このように寄り道をした旨の申し立てがあった事実は認められず、被告人が本件当日の朝に自宅と「ランボー」の間を往復した経路が記載されている、被告人作成の昭和六四年一月七日付け上申書においてもそのような記載はなされていないのであり、右の図面には本件当日の行動ではなく「ランボー」に通う際にいつも通る経路を書いたにすぎない旨の被告人の弁解も、右図面には「ランボー」への往路の途中で道を間違えた旨の記載もなされていることからすれば信用することはできないこと、また、田原社長から午前六時半ころに必ず電話連絡があるのでその時刻を目処にして自宅に戻った旨の供述部分についても、被告人が、昭和六四年一月五日付け員面調書において、熱帯魚に餌をやる時間に合わせて帰宅した旨の供述をしているにすぎず、被告人が「ランボー」において午前六時までには帰らねばならない旨言っていたとする井戸の証言や、本件当日朝、田原社長が被告人方に電話をかけたのは、送迎のマイクロバスの運転を担当することになっていた田原建設従業員の菊地が不在であったので、かわりに被告人にバスを預けて他の従業員を迎えにやらせるためで、電話をかけた時刻は午前六時すぎころであった旨の田原の証言とも整合しないものであることなどに照らすと、被告人の右公判供述のうち前記自白内容に反する部分については、到底これを信用することはできない。

また、弁護人の主張中には、被告人が本件当日「ランボー」に姿を見せたことがアリバイ工作のためだとするならば、放火方法として「ランボー」に到着して後に炎が燃え上がるような工夫をしたり、「ランボー」の従業員にアリバイ工作への加担を求めるか、実際より早い時刻に到着したように誤認させるなどの手段を講ぜねばならないはずだが、そのような事実がないのは被告人が放火犯人だとすると不自然である旨言う部分もある。しかしながら、前記第三の一記載のとおり、Pの証言によれば、被告人は自白以前の段階においては、Pに対し一貫して「午前四時一五分ころに家を出て四時三〇分ころに『ランボー」に着いた」旨の供述を維持し、これに固執していたというのであり、被告人は「ランボー」において到着時刻を印象づけるような行動もとってはおらず、同店において客の来店時刻が記載されているとまでは考えずに、右のように主張すればアリバイが維持できると考えたとしても何ら不自然ではないこと、被告人の自白によっても、「ランボー」に姿を見せた被告人の行動は、いわゆる不可能犯罪としての現場不在証明を意図して綿密な工作をしたものというよりは、むしろ本件火災時に現場を離れるとともに、知人のいる場所に顔を出して所在を明らかにしておくことで嫌疑を免れることに主眼を置いたものであったと理解することができること、一般論としても、第三者に加担を求める場合はもとより、その他の偽装工作についても、後にこれが発覚した場合にはかえって嫌疑を深めることになるのは目明の理であって、放火犯人である被告人がそこまでの行動をとらなかったとしても何ら不自然ではないことなどに照らせば、弁護人の右主張を採用することはできない。

(四) 自動車内から発見された三つのバッグについて

前記第二の三5認定のとおり、被告人が本件当日の早朝に外出した際に使用した本件車両の助手席の下から三つのバッグが発見されており、うち青色バックと茶色セカンドバッグはAの所有で、黒色バッグが被告人の所有であることは、被告人も当公判廷において認めるところである。

そして、本件車両内に三つのバッグが存在した理由に関して、被告人は、自白調書においては、本件火災を泥棒の仕業に見せかけるなどの理由から、自分が本件犯行後に自宅から持ち出して隠しておいた旨供述するのに対し、当公判廷においては、本件当日に自宅からバッグを持ち出した事実はなく、本件車両内にバッグがあった理由は分からない旨供述しているところである。

そこで、まず、右三つのバッグが本件車両内にあったのが、単なる置き忘れである可能性につき検討するに、Aが青色バッグと茶色セカンドバッグのほかに、本件建物における前年のぼや騒ぎの際に一旦本件建物から持ち出されて後に還付を受けた、ルイ・ヴィトンのコピー製品である茶色セカンドバッグを本件当時も所有してこれを日常的に携帯の用に供していたことは被告人も公判供述において認めるところであり、前記第二の三2記載のとおり、前年のぼや騒ぎに持ち出された際の右コピー製品のバッグの内容物が運転免許証やクレジットカード類であったことからも、Aが日頃携帯していたのは右バッグであると認められるところ、これに対し、前記発見時において、青色バッグの内容物には多数の通帳類や火災保険証券などが、茶色セカンドバッグの内容物には生命保険証券類や契約書類などがそれぞれ含まれていたものであって、そのほかの内容物としてイヤリングやサービス券や診察券などがあったとしても、これらのバッグを前記コピー製品のバッグと同様に日常的にAが持ち歩いていたとは到底考えられないというべきである。そうすると、青色バッグと茶色セカンドバッグについては、被告人が本件建物に放火するような場合以外の日常生活において、勝手にA所有の右各バッグを持ち出すことは通常考えられず、被告人の公判供述によってもそのような事実は認められないのに加え、所有者であるA自身もこれらを日常の携帯の用に供していたわけではないのだから、これらを本件建物から持ち出して本件車両内に持ち込むこと自体通常考えられないところである。ましてや黒色バッグについては被告人所有のものであり、その中には被告人の時計やアドレス帳が入ったままであるにもかかわらず、Aが青色バッグと茶色セカンドバッグのほかに右黒色バッグをも勝手に持ち出すということは考えにくいし、右三つのバッグが本件車両の助手席の下に押し込まれてまとまった状態で発見されたことからしても、被告人が黒色バッグを、Aが青色バッグと茶色セカンドバッグを、それぞれ別の機会に右箇所に置き忘れたとも考え難いところである。そうかといって、黒色バッグについては被告人が持ち出して本件車両のどこかに置き忘れ、その後、いつもは本件建物内に置いてあるはずの青色バッグと茶色セカンドバッグをたまたまAが持ち出して本件車両を使用し、その際被告人の黒色バッグが車内にあるのを発見し、持ち出した自分の二つのバッグとともに助手席の下に押し込んで入れておいて、そのまま三つとも置き忘れてしまったなどという事態もおよそ考えられないというべきである。以上からすれば、右三つのバッグが本件車両内から発見されたことを単なる置き忘れとして説明することは困難なものというべきである。

次に、Aが意図的に右三つのバッグを本件車両内の助手席の下に保管していた可能性について検討するに、本件車両は、普段本件建物前の人の往来する道路に面した場所に駐車されており、被告人とAが日常の交通手段として使用していたことなどからすれば、貴重品類を保管する場所としては極めて不適切というべきであって、本件建物内に保管した方が安全であるにもかかわらず、あえて被告人所有の黒色バッグを含めて、Aが意図的に右三つのバッグを本件車両内に保管すべき理由は認められないし、そのようなことがあれば、Aにおいて、その旨を被告人にも伝えておくのが自然であるにもかかわらず、被告人の公判供述によっても、そのようなことを被告人がAから聞いていた事実は認められない。そうすると、Aが右三つのバッグを本件車両内に保管していたものと説明することも困難である。

また、被告人及びAを除いた第三者が右三つのバッグを持ち出した可能性についても、BやCは本件当時それぞれ中学生と小学生であったもので、右各バッグやその内容物の性質及びそれらが存在した場所が自動車内であることからすると、両名がこれらを持ち出して自動車内に入れたとは考え難いし、それ以外の全くの第三者に及んでは、本件建物内から勝手にバッグ類を持ち出すことは窃盗犯人のような場合以外には考えられないところ、窃盗犯人が現金等の内容物を抜き取らないままで、通常施錠した状態にあるはずの本件車両内にバッグ類を入れておくということもあり得ないところであるし、また、右三つのバッグやその内容物に加熱変化が認められないことなどに照らすと、捜査官などが本件火災後に本件建物の焼け跡からこれを持ち出して本件車両内に隠しておいた疑いも存しないところであり、右の可能性も否定されるべきである。

そうすると、結局、右三つのバッグが本件車両内から発見されたことについては、被告人が本件犯行の際に意図的に本件建物内から持ち出して本件車両内に隠匿した場合を仮定するとき、これを最も自然に説明することができるのであって、この右三つのバッグについては被告人が持ち出して隠匿した疑いが極めて強いものというべきである。そして、これを肯定する被告人の自白にも高度の信用性が認められるというべきである。

なお、被告人の自白中の、右三つのバッグを持ち出した動機に関しては、青色バッグについては、窃盗犯人の仕業に見せ掛けるためとしており一貫しているものの、他のバッグについては、保険金請求のためであるとか、貴重品を持ち出すため、あるいは何となく持ち出したなどとしている調書もあり、必ずしも一貫してはいないが、右三つのバッグを持ち出した動機は、全体としてみれば、本件火災の発生が窃盗犯人の仕業によるものであると見せ掛けることに主眼をおいたものと考えることができ、他の動機の存在がそれと矛盾するものではないことも併せ考えれば、右のような変遷部分があるからといって、これが直ちに、右三つのバッグを持ち出したことを自認する右自白の信用性を左右するものではないというべきである。

また、本件火災が発生した後の平成元年一月六日に作成された被告人の上申書において、被告人が本件建物内に存在した貴重品として記載したのは、右三つのバッグのうちでは青色バッグのみであり、茶色セカンドバッグや黒色バッグについての記載がないところ、弁護人はこれをもって、被告人が本件火災を窃盗犯人の仕業に見せ掛けようとしたのなら、他の物品も右上申書に記載してしかるべきであるにもかかわらず、これがないことは不合理である旨主張するのであるが、しかしながら、被告人は本件火災発生後、他に窃盗犯人の存在を疑わせるような事実を積極的に捜査官に申告した事実は認められないこと、被告人の自白によれば、少なくとも青色バッグについては犯行当時には窃盗犯人の仕業に見せ掛けるために持ち出したものと認めることができるところ、右バッグについての記載はなされていること、その他のバッグについては、犯行当時においても窃盗犯人の仕業に見せ掛けることを主目的として持ち出したのではない可能性もある上、右上申書が作成されたのは、実際に本件火災が発生して本件建物が全焼し、被告人に対し任意の取調べが開始されて後のことなのであり、一般論としても、本件建物内から貴重品類が持ち出されたことを主張すれば、窃盗犯人等の第三者の関与を疑わせることにはなる反面、本件火災の発生原因が単なる家庭内における失火ないしは自然発火によるものではない疑いも濃くなるのであって、そのような主張をすることが罪責を免れようとする被告人にとって必ずしも有利とはならないこと、本件建物は一階居間部分から出火して全焼しており、仮に上申書に本件建物居間部分にある旨記載された物品が焼け跡から発見されなかったとしても、それは単に火災により焼失したにすぎない可能性もあるのであって、そのことが直ちに窃盗犯人の存在を疑わせることになるとは限らないことなどに照らせば、被告人が茶色セカンドバッグや黒色バッグなどの存在を右上申書に記載しなかったからといって、それには種々の理由が考えられるのであり、弁護人が指摘する右事実が不合理であるとか、これが直ちに自白の信用性を失わせることになるとは到底認め難いというべきである。

以上のとおり、前記第二の三5において認定した事実は、被告人の自白の信用性を担保するとともに、これを補強して被告人を本件火災の放火犯人と認定するための重要な情況事実ということができる。

(五) 毛髪及び衣服の熱変化について

前記第二の三6認定の、被告人の毛髪や犯行当時着用していた衣類に加熱変化が認められた事実については、被告人の自白中においても、明確に右の各加熱変化が被告人が本件建物に放火した際に生じたものであると特定するものはなく、被告人が本件火災の前夜にもストーブの前でうたた寝していたことなどからすれば、右の各加熱変化が本件以前の何らかの生活事象により生じた可能性も否定できないところであるが、少なくとも、被告人が本件建物に放火した際に生じたものとすれば、これを容易に説明しうるという限度においては意味を有するものというべきである。

第四  結論

以上を総合すれば、本件火災が被告人の放火行為によるものであることは、これを肯定する被告人の自白に任意性と信用性を認めることができ、自白を除いた他の証拠は、右自白の信用性を担保するとともにこれを補強するものとして十分であるというべきであるから、判示(罪となるべき事実)記載のとおり、被告人を本件火災の放火犯人と認定することができ、これに合理的疑いをいれる余地はないというベきである。

そして、被告人のAらに対する殺人の公訴事実についても、以上認定の事実を踏まえて検討するに、被告人の放火行為により本件火災が発生し、これによりAらが焼死しているのであるから、まず客観的な実行行為としてはこれを認めることができ、殺人の故意についても、放火方法は本件家屋が全焼に至る危険性の高いものであったこと、本件火災は早朝に発生したものであり、被告人もAらが就寝中であると認識して放火行為に及んだものと認められること、被告人において、ことさらAらが本件火災に巻き込まれて焼死するのを避けるべき手段を講じた事実は認められないことなどに照らせば、被告人において、少なくとも、Aらが本件火災により焼死するかもしれず、仮に焼死したとしても構わないという限度での、Aらの死に対する未必的殺意が本件建物に放火した際にあったことは十分に推認することができる上、これに被告人の自白中未必的殺意を肯定する旨の供述部分に信用性を認めることができることを併せ検討すると、被告人がAらに対して未必的故意で殺人を犯したという限度においてはこれを優に認めることができるというべきである。しかしながら、右限度以上に、「Aについては焼死した方がよい」との犯意であった旨の確定的殺意があったと述べているともとれる検察官の主張に関しては、前記のとおり、被告人の自白中これを認める部分があるが、この部分についてはたやすく信用することができず、被告人の放火行為の態様をみても、Aの行動の自由を奪うなど、確実にAを焼死させるための特別の手段を講じていないのであり、他に、被告人がAの死を意欲していたことを認めるに足りる証拠も存在しないことからすれば、右主張のように認定することにはなお合理的疑いが残るので、当裁判所は、被告人のAに対する殺意についても、その死に対する未必的な認識・認容があったという限度において認定したものである。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、現住建造物等放火の点は刑法一〇八条に、殺人の点は各被害者ごとに同法一九九条にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い現住建造物等放火罪の刑で処断することとし、所定刑中無期懲役刑を選択して、被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

被告人は、鳶職として茨城県鹿島郡神栖町内で稼働していた際、Aと知り合って同棲するようになり、同女やその子供達であるB及びCが住む本件建物内でともに生活を始め、その後昭和六三年六月にAと入籍したものであるが、Aから二〇〇万円の資金提供を受けて昭和六二年一月ころ本件建物内に自らの趣味を生かして熱帯魚店「○○」を開店し、同年中にさらにAから一〇〇万円の資金提供を受けたが、同店の売上げが思うように伸びず、Aに対する右資金の返済分や小遣い分を差し引くと買掛金の返済に充てる資金が不足したことから、仕入れ先である「東京ペット商会」に対する買掛金がたまるようになり、右金額が昭和六三年三月末には三〇万余円、同年七月末には一〇七万余円となり、一旦は右債務に気づいたAが止むなく同女の定期積金を解約して一〇〇万円分を返済してくれたものの、「東京ペット商会」に対する買掛金額はその後も増大を続け、昭和六三年一二月二六日現在で一七二万八、九八〇円となり、被告人は、仕入れ先である同店の信用を維持して熱帯魚店の経営を継続するためには、たまった右買掛金債務を返済しておく必要があり、そのためには本件建物に放火して本件建物等につき加入している火災保険の保険金を入手するほかはないものと決意し、右放火の際、本件建物内にいるA、B及びCが逃げ遅れて焼死しても構わないと考えるに至ったものである。

本件は、被告人が右決意のもとに、本件建物一階居間部分のこたつ布団に灯油をまき、これに点火したストーブの燃焼筒を用いて着火する方法により本件建物に放火して、これを全焼させるとともに、本件建物内にいた妻Aやその娘であるBとCを焼死させて殺害したという事案であるところ、その結果は三名もの人間から何物にも替え難い貴重な生命を奪った極めて重大なものであり、前夫と死別後二人の子供を養育して本件建物に居住し、被告人と同棲後も被告人に資金援助をするなどして熱帯魚店の経営を手助けしていたA、並びに、本件建物内で同女らとともに平穏な生活を営んでいた、未だそれぞれ中学生と小学生にすぎなかったB及びCには全く落ち度はなく、炎と煙に包まれて非業の落命をし、炭のようになるまでその身を焼き尽くされた被害者三名の無念さは察するに余りあり、遺族の被害感情にも深刻なものがあるというべきである。さらには、本件火災は民家が密集した住宅地内で早朝に発生したものであり、現に隣家一軒に延焼してこれが半焼に至っているほか、本件火災が付近住民に与えた不安感及び恐怖感にもはかり知れないものがあり、この点についての結果も重大というべきである。そして、被告人が本件犯行に及んだ動機についても、前記のとおり、自己の資金運用の計画性のなさや経営努力の不足を省みることなく、本件家屋に火災を発生させることに伴う火災保険金の入手により事態を解決しようとの意図の下に、通常Aら三名が就寝している時間帯の早朝に、右三名が焼死するかも知れないことを承知の上であえて犯行に及んだものであって、極めて短絡的かつ自己中心的なものである上、右意図の実現のため、事前に本件建物等についての火災保険の加入や、Aとの入籍などの火災保険金入手のための条件が整ったことを認識した上での犯行であり、飼育していた熱帯魚のうち高価なものなど数十匹を他の場所に移動させて焼燬を免れさせたり、本件犯行後に現場を離れて知り合いのいる場所に顔を出すことにより一種のアリバイ工作を試みたことなどの点で計画的な犯行でもあるというべきである。また、被告人は、当公判廷においては一貫して本件犯行を全面的に否認していて、特段の改悛の情も認められないところである。

以上のような本件の罪質、動機、態様、結果、遺族の被害感情、社会的影響などの諸般の事情にかんがみると、被告人の刑事責任は誠に重大であり、極刑の適用も検討されるべき事案ではあるが、死刑は人間の生命を永久に奪い去る冷厳な刑罰であり、その適用には慎重の上にも慎重を期し、誠に止むを得ない場合にのみこれを科すことが許されるというべきであるところ、本件においては、被告人は、放火に際して積極的に被害者らの行動の自由を奪うような行為はしておらず、その犯行態様は殺人の手段としては必ずしも確実性の高いものではなかったこと、被告人が被害者三名に対し有していた殺意は、逃げ遅れて焼け死んでも構わないという未必的な認識・認容にとどまっていたこと、被告人は、昭和五四年に業務上過失傷害罪で罰金三万円に処せられ、昭和五六年に窃盗罪で懲役一〇月(保護観察付き執行猶予三年)に処せられたのみで、本件と同種の前科はないこと、本件以前の平素の行状にも格別凶悪ないし粗暴な点は認められないこと、現在三三歳という年令も併せ考えれば将来の矯正の余地もなお残されているというべきであることなど、被告人に有利に斟酌すべき諸事情も認められるので、以上を総合考慮し、被告人に対しては、主文のとおり無期懲役刑をもって臨むのが相当であると思料する次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官平林慶一 裁判官佐々木直人 裁判長裁判官鈴木秀夫は転補のため署名押印することができない。裁判官平林慶一)

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